見聞録(旅行記)5 シェムリアップ訪問(4)2017年1月6日
【思わぬ変更】
実は、1月5日に伝統の森から帰る途中、ボン・ソーンが奥さんの叔父さんが昨日亡くなったので、明日(1月6日)バッタンバンまで車で行く、と言い出しました。何時にシェムリアップを立つのか聞くと、息子のパヤーンが学校の試験を終了したら出発すると言います。実はパヤーンは体調不良で昨日試験が受けられなかったので、明日が追試験なのだそうです。じゃあ、明日はトゥクトゥクの運転は無理かな?と尋ねると、午後3時くらいまでは大丈夫と答えます。では、明日はすぐ近くのイエズス会サービスでトゥン・チャンナレットに会うことにしようと伝え、午後5時頃に分かれました。トゥクトゥクの代金は20ドルと言いましたが、叔父さんの花代にでも、と言って30ドル渡しておきました。明日の迎えは午前9時と約束しました。
【トラブル発生】
シャワーを浴びて少し休んだ後にすぐ近くのマーケットに出かけ、飲み屋兼レストランの「BELL」で5ドルの蝦料理とハッピーアワーのビールで食事をし、7ドルの支払いでした。その後近くの土産物屋を少し覗いてビールを買って宿に帰り、飲みながらブログ記事を書いていました。思いついて、部屋の金庫から貴重品の一部を取り出し、閉めたところ開かなくなりました。まだ一部貴重品が残ったままです。仕方なくフロントに電話して、金庫が開かないと言ったのですが、明日の朝8時まで待ってくれと言われてしまいました。その後ブログ記事を書いていたらいつの間にか午後12時になり、ベッドに入りました。
2017年1月6日(金)も午前6時頃に起きました。6時40分頃に一階のレストランに行くと、今回も一番乗りです。今回は目玉焼きを注文しましたが卵は二つでした。コーヒーのお代わりをしてから部屋に戻りました。
さて、金庫のことが気がかりだったので、待っていました。8時10分頃、女性が来て金庫を開けようとしますがダメです。フロントに電話して別の者が来るから、と言って部屋を出て行きました。数分後、若い男性が来ました。しかし、彼も苦戦しています。金庫の会社に問合せしながら20分ほどしてやっと開きました。そろそろ9時です。急いで玄関に行くとボン・ソーンが待っていました。
【チャン・ナレットとの再会】
イエズス会サービスには10分ほどで着きました。しかし、チャン・ナレットがいません。中庭を歩いていると、事務室から責任者のシスター・デニーズが現れます。レットは新しいメガネを買いに行っているとのことです。いつ戻るかも分からないと言います。待っていると言うと、「尋問」が始まりました。
どうしてレットに会いたいのか。⇒インタビューしたいから。
なぜインタビューしたいのか⇒ホームページに記事を書きたいから。
なぜレットの記事なのか⇒対人地雷の被害者であり、友人であるから。
レットにはどこで会ったか⇒2004年ころ、沖縄で会った。
シスターにはレットの庇護者の意識が強く、彼に近づいて来る怪しい者を拒絶するという意識がありありと見えました。私は前にシスターに会っているのですが、要注意人物と認識されているかも知れません。質問を終えた後、彼女は3月末頃に来日予定があると言って事務室に戻っていき、それきりでした。
約1時間30分ほどして、レットが帰ってきました。2年ぶりですが、いつもの通りにこやかに迎えてくれました。以下はレットとの一問一答と、よもやま話の内容です。
* 少し太ったようだが? ← 完全にではないが、2年前からタバコをやめたからだろう。
* 今何才になった? ← 57歳だ。
* 家族はみんな元気か? ← 妻も6人の子どもたちも皆元気だ。末子も大学を卒業し、シェムリアップのホテルで働き始めた。
* 個人的に問題はないか? ← 無い。私の人生は神に捧げた。ただし、将来的には子どもたちの結婚の問題がある。
* ここ1〜2年カンボジアの障害者の生活に改善があったか? ← あったと思う。自分が知る範囲では、2016年中に障害者向けの住宅が2200戸建てられた。障害者用トイレも6基設置された。
* 障害者にとっての問題は何か? ← 家とトイレ、リハビリだ。仕事を得る事も必要だ。
* 今現在の活動状況を教えて欲しい。 ← 近隣7州を回って、車いすの供与、修理、相談など幅広く活動している。職業訓練もさせている。自転車などの修理工になる人には600ドルの圧縮空気ポンプを供与し、縫い物をする女性の場合には250ドルのミシンを供与している。
* 今後の活動について教えて欲しい。 ← 各州を巡回し、障害者を励ましたい。また、州や国に障害者問題を理解させるように圧力をかけて、リハビリプログラムの充実などを促し、障害者の生活の改善が実現させるように努力していきたい。
* ランドマインモニター2016によると世界各国からの支援金額が減少しているが、支援活動していて差し障りは出ていないか? ← 支援金額減少の件に関しては詳しく知らない。自分の活動はすべてがイエズス会からの資金で運用されているので、特に影響は受けていない。
* 「ランド・オブ・マイン」というデンマークの映画が上映されたが、知っているか? ← 知らない。
* 「ランド・オブ・マイン」では、少年兵に対人地雷除去をさせているが、これは重大なジュネーブ協定違反であり、児童虐待なのだが、国際世論が何も論評していない。デンマークが非難されることもない。おかしいと思わないか? ← 確かにそのとおりだが、人も組織も状況に応じて顔を使い分けているのだろう。良くあることだ。対人地雷問題にしても同じことだ。関係者に都合の悪い事は話題に上らない。
* クラスター爆弾の問題はラオスが有名だが、カンボジアにもクラスター爆弾問題はあるのか? ← ある。コンポンタロン、コンポントン、ウロッタキクー、モンドリゲリ、スティントライの6州でクラスター爆弾被害が報告されている。カンボジア政府の推計では約3千万トンの不発のクラスター爆弾がある。
* それはベトナム戦争の時代のものか? ← そうだ。1970年から1975年にかけて、米軍が投下したものだ。
* カンボジアのクラスター爆弾問題について言及している公文書などはあるか? ← 知らない。
* もし誰かが100ドル寄付すると障害者にどれくらいの支援ができるのだろうか? 具体的に例示してほしい。 ← 50kg入りの米袋が3袋買える。障害者にとっては有り難いことだ。
* 日本の皆さんへメッセージを書いてもらえるか? ← もちろん。
Please, Growing rose in your heart instead of Growing weapon.
* ソン・コサルは元気か? ← 元気だろう。結婚して今アメリカで暮らしている。
いつもながら率直な答えでした。次回いつ会えるか分かりませんが、健康に気をつけて元気に暮らしてもらいたいものです。
レットと別れてから、中華の店でボン・ソーンに昼食をおごり(代金は二人で7ドル)、ホテルまで送ってもらい、午後1時30分に別れました。トゥクトゥクの代金は5ドルでした。別れ際に明日の空港までの足が必要だが、誰か知り合いに代わりを頼めるか、と聞くと友人に頼むと言います。その運転手には5ドルだけ払うようにと言われました。礼を言って再会を約しました。
かなり気温も高くなっていましたので(体感で30度以上)、部屋に戻って少し休憩しました。その後、徒歩で7〜8分のIKTTに出かけました。会いたい人はすでに半年前にいなくなっていて会えませんでした。自分用のTシャまた土産物を72ドル購入して部屋にもどりました。
ホテルに戻る道すがら、以前にも見たことのある英語教室で子ども達が熱心に英語を習っているのを見ました。カンボジア人の先生が黒板に英文を書いた後、読み上げ、それをみんなで繰り返すというやり方です。小さな子どもも混じっていましたが、みんな大きな声で繰り返していました。
部屋に戻り、少し荷造りをして繋がりにくいネットでニュースを見てから早めに夕食に出ました。近くのカフェ&バーで春巻き、蝦入り粥、白ワインの夕食です。合計で7.5ドルでした。
部屋にもどってブログ記事をアップしようとしたのですが、接続が時々中断します。結局あきらめてビールを飲みながら持参した本を読んでいました。就寝は午後11時、日本時間の午前1時でした。
(次回が今回の旅行について最後の記事です。お楽しみに)
(この先は次回に)