見聞録(旅行記 2020年)

見聞録(旅行記)7 シェムリアップ訪問(2020年1月29日〜2月1日)



 今回の記事は、旅行に同行していただいた萩森さんという秀逸な文筆家の書いたものを、無理を言って転載させていただきました。ウィットに富んだ旅行記をお楽しみください。



 

10回目のカンボジア訪問記

2020.1.29
 
〇 一人で出発

 いつもは横にいるチロリン(妻)がいない。そんなにもたれかかっているわけではないが、生桑の駐車場に車を停めるにも駐車券を買ったり、車をおいてくる間に乗車券を買っといてくれたり分業ができない。なんか、これぐらいで寂しいというか心細いところがあるから不思議だ。
 
 よく冗談で、飛行機事故で二人一緒にお陀仏出来たら保険金が娘たちに入るし、お互いに介護したりされたりする心配もない。墜ちるならいっしょと言ってきた。今回は私ひとりである。飛行機なんて99,9%落ちないのに、変なことを考えている。

〇 名古屋セントレア晴れ、10回目のカンボジア行き
 
 セントレア空港は晴れ。1月というのに4月のように暖かい。上着は全く要らない。心持ちマスクの人が多いのは、例の新型コロナウィルスの対策かもしれない。今回、感染が東南アジアに広がったら、渡航を断念する覚悟はしてきた。ベトナムやカンボジアでも数人の患者は出たそうだ。しかし、早くから航空券は予約するので人は多く、Bエリアの搭乗手続きも長蛇の列だ。

 今回で10回目のカンボジア訪問。外務省のODAモニターの狭き門に応募し、難関?を突破して初めて訪れた日からもう14年の歳月が経つ。その時は、政府のODAがいかに欺瞞的で実際どんな運用がされているかを見るのが大きな目的だった。

〇 今回の訪問の目的
 
 今回は、白井さん(夫妻、JCBL地雷廃絶の中部の代表)に誘われて、前回から少し間が空いて訪れるカンボジア。カンボジアに私が行くのは、水津さん(小田さん)、森本さん、アキ・ラー、チャンディに会うのが大きな目的(楽しみ)だった。でも、水津さんは(いっしょに暮らす小田さんも)お店(日本風料理店)をたたんで日本に帰国してもう店はない。私が現地で2回も赤痢に罹り王立のロイヤルホスピタルに連れて行ってもらったり、カンボジア人気質についてたくさんレクチャーをしてくれたり大変お世話になり心強かった。
 
 カンボジアにシルクを蘇らせ、多くのカンボジア人に働く場所を作り村を再生して現地の人に慕われていた森本喜久夫さんは最近癌で帰らぬ人となった。木の上のコテッジのような部屋で森本さんと話すゆったりした珠玉の時間がボクは大好きだった。森本さんのお母さんは鈴鹿の林崎の出で「伝統の杜」はそこにヒントを得てみえた。
 
 それと、今回も10万円の募金を手渡す地雷博物館のアキ・ラーにはうまく会えるだろうか。地雷原に地雷堀りに行ってなければいいが。博物館の受付、チャンディ(若い女性)はボクの片想い女性。ボクのツイッターのファースト画面で腕を組んで寄り添ってくれている。まだ、受付にいるかなあ。
 
 それと、二つ目の目的は、今回行く予定に入れているトンレンサップ湖の(ここはカンボジアなのに)ベトナム人の貧しい水上生活者をスケッチしようとしている。その二つが今回の大きな目的だろうか。


〇 ベトナム航空(機内)
 
 時間は知らされているより45分ほど遅く離陸準備にはいった。初めてのベトナム航空かな(ハノイでは乗り継いだことはあるが)。現地は時差マイナス2時間。機内、ボクの周りはベトナムの人ばかりみたいだ。そこにひとりスコンと座っている。客室乗務員は目の覚めるような青色のアオザイにパンタロン、アオザイの切れ目からは素肌がのぞいていて色っぽい。
 
 機内の昼食は結構いける。日本酒もある。(フィンエアやヨーロッパ路線ではビールだけ)ワンカップに赤ワインで上機嫌。おまけに右隣の青年がもう一つワンカップをくれるというので遠慮せずいただいた。彼は日本のセブンで12時間働く「研修生」、人が好さそうでどこに行くのか聞いてくれる。左隣はベトナムの観光ガイドのおじさん。面倒見がよくて食事中もこの老人(ボク)にコップやカップの置き方まで指導してくれる。言うことを聞いて甘えることにした。ひとり旅だとこうして近くの人と交わるメリットがある。

〇 ハノイの空港
 
5時間ほどでハノイに着く。曇り空。しかし、もうすでに乗り継ぎの時間は過ぎている。
こんな時仲間がいると助かる。焦らない。白井さんがシェムリアップ行きの看板を持った女性をみつけてくれ、彼女が空港バス乗り場まで案内してくれる。我々3人だけがカンボジアかと思ったらなんのなんの日本語話す集団が後から10数人どやどやとバスに乗り込んできた。こういう時は大体置き去りにはならない。日本なんかだとアナウンスで呼び出してくれるが、こうやって遅れてくる人たちのことを把握していて待ってくれるのだ。おかげで待ち時間なくカンボジア、シェムリアップに向けて飛び立った。現地時間午後3時15分。

〇 シェムリアップ空港
 
 いつも韓国のインチョン(仁川)空港経由だとシェムリアップに着くのは深夜0時。そこからツゥクツゥク(リヤカーをバイクでけん引する乗り物で安上がりタクシー)を値切ってホテルに着くのが常だけれど、今日は明るい。4:55予定通り着いた。ハノイから1時間40分。
 
 昼間見るシェムリアップ空港もいい。アジアン風の建物が長く伸びている。空港の査察も様変わりした。以前はたくさんの官僚のようなおじさんが並んで入国審査をしていたが、今は一人で窓口もたくさんあり、諸外国と同じになってきた。ただ、すごく丁寧で時間はかかる。
 
 出るとタクシーの運転手が待っている。交渉は白井さんに任せた。彼は押しの強い英語が話せるので明日の1日の貸し切り運賃を頑張って交渉していた。交渉は成立。こういう交渉能力(ねぎり力)は外国や空港では必要な能力である。

〇 ホテル着
 
 パソコンの「エアトリ」で今回はeチケットもホテルバウチャーも予約した。正直不安は直前まであった。しかし、こうして来てみるとすべてセーフ。飛行機もちゃんと乗れたし、だいたい運賃が半額、いつも旅行会社を通していたのが半額である。
 
 ホテルもすごく広い部屋、一人なのにダブルベット。とにかく広い、空調も抜群。バストイレも上等。(湯舟の温度が上がらないのが少し不満なのを除いては)このゆとり空間がたまらなくいい。今までアジアンホテルばかりでそれで良しとしてきたが、この快感さは癖になりそう。ただ、夜の1時に目が覚めたら外は極めてうるさい。大音量ですごいビートの音楽が流れている。レストランのコンサートらしい。宿泊客や住民は誰も文句を言わないのだろうか。なんとそれは朝の4時まで続いた。(2日目は5時まで)私の旅行必携リストに「耳栓」を付け加えなければならない。
 

1.30(木)

講堂のようなレストラン。天井と壁面には大きな壁画、100名を超える椅子が並んでいる。ヨーグルト味の小豆粥がおいしかった。野菜たっぷりのみそうどんもうまい。粥のレパートリが多く、そこに入れるかやくの様なのが豊富だ。胃に優しくていい。

〇 朝の散歩
 
 時間があったので、朝の街に出た。臭い。ゴミのにおいだ。前のトンレンサップ川は相変わらず汚くよどんでいる。これだけの急激な都市化ではきれいになるのはむりである。(だが、夜はネオンで嘘のように夢の世界になるのだ。これってどこかの町の「夜景クルーズ」と同じじゃないか。)フロントで地図をもらったが要領を得ない。自分の方向感覚に頼って歩き始めた。カンボジアの朝は早い。働き者だ。学校も午前の部は6時台から子どもたちは来て、当番の子は校門前を掃き掃除している。
 
 道路はあちこちで工事中でフェンスがより道を狭くしている。3人乗りのオートバイや車が前から洪水のようにやってくる。あっそうだ。ベトナムは車は右側通行。道路の左右はバラックと高級ホテルが入り乱れて建つ。1時間ほどが過ぎた。8:00には待ち合わせだ。タプロームホテルと聞くがなかなか知っている人がいない。焦る。ベネチアの迷子の再来だ。何とかぎりぎりに帰った。歩数計は10000歩を超えていた。

〇 チャンナレット(ICBLの活動家)
 
 地雷廃絶の世界では国際的に知られたチャンナレット。白井さんとは懇意で教会に行くとちょうどみえた。車いすで飛んできたという感じでやってきた。挨拶もそこそこに本題で話している。二人の間には信頼関係があるから意見交換も可能だ。やはり英会話についていけない。時折、白井さんが要約して通訳してくれるのを聞いている。賢い人だ。カンボジア政府におもねることなく、世界を見ている。気さくで地雷のいろんな話ができる。

〇 アキ・ラー(地雷博物館)
 
 博物館に着いて、受付で話していると、少し奥を見るとアキ・ラー本人が居た。久しぶりだし、博物館で会うのは初めてかも知れない。懐かしいし、今までいろんな話をしてきたことが思い出される。笹川と常磐の中学生や父母たちが長い時間をかけて集めてくれた募金が通帳に貯められていて、行く度に10万円(今回は850ドル)をおろして、地雷被害者の救済や遺族の奨学金としてアキ・ラーに手渡してきた。(右から二人目がアキ・ラー) 
お目当てのチャンディは大きなプロジェクトで外に出ているということで会えず、残念。

〇 IKTT(伝統の森)
 
 町のほうの事務所には田中あずみさんという新しいスタッフがいた。聡い感じの方で布のことを話して、森のほうと連絡を取ってくださった。
 
森までは1時間余。いつも運転士さん泣かせの凸凹の泥道。今は乾季なのでほこりが舞う。岩本みどりさんと会い作業場を案内していただきながら話をする。手は糸を染めた紺色で手袋をはめたように真っ青だ。いろいろ話したことの中で、たとえば村づくりや後継者問題。今中心になっている40代の女性の織り手から10代の高校を出たばかりの娘が染める糸をバナナの皮できつく縛っている。この仕事が楽しくないと続かない。村に残らない。
 
この作業場を見る限り森本さん亡き後も世代継承はできているようだ。今回は男の人も作業場にいた。妻に頼るだけでなく、男もしなくっちゃ。小さい子どもも作業場に相変わらずたくさんいる。この作業場の風景がいい。
 
 伝統の模様の伝承はもっと大変。みどりさんは模様にはカンボジア特有の祈りがあるという。自分が日本で培ったり、学んだこともその歴史の上に織り込んで行きたいという。「私の織物はアートです」と言っていた森本さんの考えを深く理解している。
 
 今後販路をどう維持し拡大し、「自立の村」になるのは決して平たんな道ではないと思う。

〇 トンレンサップ湖
 
 カンボジアに来て(シェムリアップに来て)かの有名なアンコールワットとかタプロームに行かないのはもうそこそこの説明は何べんも聞いて飽きていたり、その見学のパスポートの通行量の値上がりにびっくりしているからだ。それを避けて今回私たちが選んだのはトンレンサップ湖。乾期で水が引いて、ボクの目指している水上生活のベトナム人を絵にすることだ。
 
 しかし、スケッチしたり写真に撮るにも逆光ではっきり見えなかった。誰もこんな景色など絵にしない。もっと近づいてじっくり見たかったがかなわず。それを哀れんだかタクシーの運ちゃん、帰り道でカンボジアの田園風景が残る蓮畑で車を停めてくれた。

〇 夜の晩餐
 
 昨日はきらびやかな夜の街を歩いて、二階に陣取り下の行き交う人々の様子も見ながら牛肉料理を楽しんだ。やっぱりサラダ類は避けている自分がいる。今日は、ホテルの近くのオールドマーケットの前にある新しくできた高級目の料理店、日本語のメニューにひかれて入った。カレーにした。今回はとても用心深い。昼もジンジャーの鶏肉の炒め物。
 
 夜の晩餐の話題の一つは、彼の護身・危機管理の話になった。よく知って見える。戦場のPTSD、民間兵士のこと。奥さんの恵子さんも彼の考えをよく理解しているのにも驚く。
 
 東南海で避難所経営や死者の処分の話など松岡さんの受け売りをしたらいかにも共感してもらい意気投合した。こうして、地雷だけでなく、いろんな事例で共通点を感じ、距離を縮めていくのが実感としてわかる。地雷・映画・危機管理で白井さんとは生き方の細部まで信じることができるのは不思議だ。
 

1.31(金)
 
〇 北へ北へ50km、クーレン山
 
 今日は今まで行ったことのない山に向かう。北へ北へと車は走る。山道も車で登る。標高を上げる度に下界のカンボジアの風景が広がり気持ちいい。車を降りると山頂は開けていて、店が並んでいる。山頂には僧服の男女が行き来する。読経が聞こえる。一段と高いところに登ると、岩に大きな寝釈迦が掘られている。信仰の山なのだ。
 
 場所移して目的の滝を探す。あったあった。この乾季というのに水は豊富に流れ出している。もう一つの大きな滝を探して今度は下へ下へと階段を下りる。かなり降りきったところに滝壺。何とそこで欧州系の若い子たちが水着で戯れている。こんなカンボジアの秘境で泳げるとどうして知ったのだろうか。降りて今度階段を上がるときは疲れきってて足を引きずりながらゆっくり登るのが精一杯だった。(もう、登山はできる身体じゃないな。)

〇 民族文化村
 
 カンボジア政府が造った官制「民族文化村」カンボジアの歴史は分かるが、あまりおもしろくはない。村芝居をしていたので小屋に入った。結婚式のようすを再現していて、興味深かったが、その舞台は演技をしていると言うよりはみんな並んで居るだけで式の流れを説明するようなものだった。
 
 とにかく、疲れてて他を回る気分にもなれず、3人で、人造湖のそばでハンモックに入って休養をとることにした。ハンモックで寝るなんて初めて。何とか工夫して揺らすことを覚えカンボジアの空気の中で、過ぎていく時間を気にせずウトウトしていたのである。

〇 今回のカンボジア
 
 久しぶりのカンボジア、シェムリアップ。かなり駆け足の行程だったが、夜はゆっくりした。カンボジアに向かうときは一枚一枚脱いでいけば、暑さには対応できたが、帰り、トランクにセーターや上着を入れてしまい、飛行機の中では毛布にくるまり、名古屋に着いたときは寒さに震えた。
 
 この観光の街はシェムリアップはいびつな開発が進んでいるが、この子たちが大きくなるときは、地雷もきちんと掃除され、教育も行き渡り、老齢日本を追い越して、アジアの牽引力になっているかも知れない。
 
 

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