見聞録(旅行記 2017年)

見聞録(旅行記)4 シェムリアップ訪問(3)2017年1月5日 その2




【映画監督:歌川達人氏との会話】


 話が前後しますが、今回伝統の森の森本さんを尋ねたのは、ご機嫌伺いを兼ね、森本さんのドキュメンタリー映画の撮影状況を見ておきたかったこともありました。クラウドファンディングの出資者の一人でもあるからです。これから先、歌川達人監督を馴れ馴れしく歌川さんと呼びますが、それは伝統の森で彼と話しているときもずっとそうしてきたからです。他意はありません。




 午前9時30分ころ、伝統の森に到着して最初に森本さんと顔を合わせ、挨拶したときに、後ろから長身の若者がやってきました。始めは言葉を交わすこともなかったのですが、事務局の岩本さんの紹介で(だと思います)挨拶を交わし、私が歌川さんの映画の出資者の一人だと話してから、打ち解けた話が始まりました。私が、映画好きだということも歌川さんの親しみを誘ったのかも知れません。


 ともあれ、歌川さんの映画に関する知識は圧倒的でした。大学で映像関係の学部で専門知識を学び、実際に映像を撮り、映画を観て、映像関連の仕事をずっとしているのだから、当たり前と言えば当たり前ですが、汲めども、汲めども尽きぬ映画に関する知識が噴出してくるのでした。その話の大半は私の脳内でオーバーフローを起こして消えてしまいました。残念です。




 さて、歌川さんのプロフィールについて覚えていることをネットで公開されて情報で確認・補強してみると、以下のようになります。




「1990年生まれで北海道出身。2013年立命館大学映像学部卒業後に上京し、フリーランスで映画やCMの撮影助手や助監督、NHKドキュメンタリー番組のADなどに携わる。2013年山形国際ドキュメンタリー映画祭には、リーダースタッフとして参加。またNPOの独立映画鍋にも属している」。




と、いう感じです。話の中でもドキュメタリーの現場の話がたくさん出てきました。現場で体験した話なので臨場感があり、いくら聞いても飽きることがありませんでした。


 映像の世界の内輪話も聞かせてもらいましたが、差し障りのない話をひとつだけ紹介しますと、日本の映画業界では、製作者と現場スタッフが事前に契約書を交わさないケースが多いそうです。そのため、仕事が終わってから、信じられないくらい低い賃金を伝えられたり、報酬が支払われない場合もあります。海外(欧米など)の映画現場などは、撮影前に契約書を結ぶ場合がほとんどです。加えて、映画の労働組合が定めた様々なルールによって現場スタッフが守られています。そういう意味では、日本の映画現場で働くのはとても大変なので、海外の現場が羨ましいということでした。




 さて、歌川さんがどうして森本さんを知ったかの詳しい話を聞きそびれましたが、伝統の森に遊びに来たときに出会ったというところでしょう。そういえば、今撮影中の映画のクラウドファンディング(終了しました)のページがあります。歌川さん自身の文章から彼のバックグラウンドや基本的なものの見方、考え方がわかります。センスの良い文章です。ご覧になりたい方は以下のURLからどうぞ。
ドキュメンタリー映画『Cambodian Textiles 森本喜久男の一生(仮)』





 歌川さんとはたくさん映画の話もしました。記憶に残っているのが、私はクリント・イーストウッド監督作品が好きで、「ミリオンダラー・ベイビー」以後の彼の監督作品のほとんど観ていると話したときに、歌川さんもクリント・イーストウッド監督作品が好きだと言い、「ハドソン川の奇跡」の構成が素晴らしいと語っていたことです。また、「グラン・トリノ」や「硫黄島」の話もしました。他にはインド映画の話もしました。「きっと、うまくいく」や「PK」の話もでました。インド映画の独特さには目を見張るものがあると語っていました。




 ドキュメタリー映画の話では、ヨーロッパやカナダでドキュメタリー映画の需要が多く、日本に比べ制作費も集めやすいことや、日本で売れなくてもヨーロッパで売れるドキュメンタリーもある、という話もありました。ドキュメンタリーの話に関連して、私が昨年暮れにNHKの深夜番組で見たアイヌの語りを記録した音源が復元された際の映像の話をしたところ、歌川さんもいずれはアイヌのドキュメンターを撮りたいと思っているということで話に聞き入っていました。




 さて、私が「歌川監督の選ぶ、2016年の邦画、洋画のドキュメンタリーは何でしょうか」と尋ねてみますと、少し考えて邦画は「さとにきたらええやん」、洋画では「シリア・モナムール」と答えてくれました。私は「シリア〜」は観ていました。何ともやりきれない映画だと記憶していました。死が日常になっているのを覗いたショックとおぞましさがありましたが、歌川さんに対してうまく表現することができませんでした。「さとにきたら〜」については、歌川さんが、「西成区釜ヶ崎という土地の複雑さがにじみ出ている良い映画ですね」、と言ったことばが印象的でした。


 他には文化庁がH29年度に京都に移転する話が歌川さんから出ました。私から中央省庁移転は、巨大地震や富士山爆発対策であり、福島原発からの放射能汚染対策の意味もあると言う説もあるという話を紹介しました。


 もう一つの話です。歌川さんが将来海外進出を考えているので、語学留学しようと思っていると話してくれました。それに対して、私が海外の語学学校に行っても映画に関係する専門用語ややり取りの仕方を教えてくれるわけではないので、無給でアメリカのどこかの映画制作会社にでも雇ってもらう道を選んだ方が実戦的な英語が身に付くし、アメリカの最新の映像技術も学べるのでベターですよ、と頼まれもしないアドバイスをしてしまいました。それに対しては歌川さんがちょっと戸惑った顔をしていました。




 最後の話題ですが、歌川さんは学生時代に京都の佐々木蔵之介の生家の酒蔵でアルバイトをしていたそうです。元々日本酒好きな歌川さんは店舗での販売に必要だということで新酒の味見をさせてもらったと嬉しそうに話していました。私は、白ワインのシャルドネ好きで、酒と白ワインに近いものを感じることがあることを話しました。最近の欧米での日本酒ブームもそのあたりから来ているかも知れないとも話しました。また一緒に飲める機会があれば良いのですが。




 他にもいろいろな話をしたのですが、断片的にしか思い出せません。ともかく楽しく、時間の経過を忘れるくらいたくさんのことを話しました。きっと歌川さんがとんでもなく聞き上手な人だったからでしょう。本当に良い出会いでした。森本さんのドキュメンタリーの公開が待ち遠しいところです。




(この先は次回に)

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