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定期講演会記録28

第28回 中部地雷問題支援ネットワーク講演会
オタワ条約成立後15年の歩み

今現在も続く対人地雷問題




開催日時  平成24年12月15日(日) 午後1時30分~4時30分、




開催場所  愛知県青年会館 2階 第5会議室




講  師  1)中部地雷問題支援ネットワーク 白井敬二
      2)JCBL代表理事         北川泰弘


参加者   8名

 本日は足下の悪い中、第28回目の中部地雷問題支援ネットワーク講演会に足を運んでいただき、誠にありがとうございます。


かなり遠方からお出でいただいた方もいらっしゃいます。重ねてお礼申し上げます。


 今まで年に2回ずつのペースで対人地雷の講演会をやってきましたので、通算すると14年くらい続けてきたことになります。


 今日の講演会ではパワーポイントの映像を見ていただきながら、対人地雷問題の概略をお話した上で、私の対人地雷に関わる個人史も紹介し、最後にICBL(対人地雷禁止世界キャンペーン)制作の映像で締めたいと思います。


 その前に特定非営利活動法人 地雷廃絶日本キャンペーン代表理事の北川泰弘さんをご紹介いたします。今日はわざわざ横浜からお出でいただきました。一言ご挨拶いただきたいと思います。

【北川代表の挨拶】



 北川でございます。白井さんとはもう20年近くこの地雷の問題でお付き合いさせていただいています。JCBLができて今年が15年目です。


先日署名はしたけれど批准していなかったポーランドとマーシャル群島に批准を呼びかけていたのですが、ポーランド大使館と仲良くなりました。


 それで、JCBLの15周年記念パーティーを恵比寿のポーランド大使館でよろうという「ことになり、2012年11月16日に盛大に開催しました。白井さんにも名古屋からおいでいただきました。


ところで、今お手元に横浜の展覧会のパンフがあると思うのですが、横浜のYMCAの担当は写真が古いと言ったのですが、対人地雷の被害者は減ってはいますが、15年経った今でも発生しています。地雷問題はまだ終わってはいないのです。


 先週、ジュネーブで対人地雷禁止条約の締約国会議が開かれたのですが、地雷を取りきれない何カ国があと10年以上掛かると言っていまして、地雷問題は決してまだ終わっていません。写真は古いのですが新しい問題です。


 これからの我々の活動も地雷被害者がいない世界を目指していきますのでよろしくお願いいたします。




 では、ここからは私が先に対人地雷問題の基礎的なお話をさせていただきます。その後で北川代表から対人地雷問題を巡る最新情報を教えていただきます。

【対人地雷の歴史】



 まずは、対人地雷の歴史ということで、パワーポイントを作りました。対人地雷はご承知のように地面に埋めて踏んだ敵を殺傷する兵器なのですが、初めて歴史に登場するのはアメリカの南北戦争です。記録には「とてもむごたらしい兵器だ」と記されています。


 対人地雷が大量に利用されたのは第二次世界大戦でした。2億個くらいが使われたと言われますが、実際の数は分かりません。だれも数えていませんから。


 第二次世界大戦が終結したあとも、冷戦時代に入り、東西の両陣営の代理戦争の形で世界各地に内戦が勃発しました。その内戦で、またしても大量の対人地雷が使われました。推定で、6千万個から1億個などと言われています。


 対人地雷の問題に最初に気づいたのは戦場に入ったNGOの人達でした。手足を無くして次々と担ぎ込まれてくる患者を見て、いったいどんな兵器によってこんな傷を負ったのだろうということから、対人地雷がクローズアップしたと言われています。


悲惨な状況に心を痛めると同時に怒りも覚えたと多くのNGO関係者が当時語っていました。

【ICBLの創設】



 次の写真の2人がICBLの創設者と言われている人達です。ドイツのNGO団体と代表と、アメリカの傷痍軍人団体の代表者です。彼らが中心になって1992年にICBLを創設しました。最初は6団体が加盟しているに過ぎませんでしたが、今では1000を越える団体が参加しています。私の団体も加盟しています。


【被害者】



 被害者の写真をお見せしますが、被害直後のものはあまりに惨くてお見せ出来ません。


【なぜ、対人地雷なのか】



 なぜ、対人地雷のみをことさら取り上げて反対しているのかとよく質問されるのですが、その理由は「無差別性」です。人を選ばないということです。子どもであっても、たとえ小動物であっても、3〜4キログラムの荷重が加わればすぐに爆発するのが対人地雷なのです。そこが深刻です。


 それと、戦争の道具でありながら、戦争が終わった後に長期に渡って、何の罪もない一般市民が被害を受け続けるという特性もあります。


 それが「残存性」ですが、対人地雷はほとんど金属を使っておらず、火薬もプラスティック火薬のため、最低でも50年間、ひょっとしたら100年間も踏めば爆発する効果を維持し続けます。第二次世界大戦時に埋められた対人地雷がいまだに爆発する事さえあります。もっと進歩した現代のものが何年有効性を持つかは予想もできません。


 「残虐性」の問題です。ちょうど大人の足首が吹き飛ぶくらいの火薬量に調整されています。20グラムくらいの高性能なTNT爆薬です。傷はとても酷く、残虐なものです。

【対人地雷の種類】


 次に対人地雷の種類についてお話します。これは「チョウチョ地雷」と呼ばれることもある空中散布型の対人地雷です。アフガニスタンでソ連軍が大量に使用して世界に知られるようになりました。珍しく2種類の液体爆薬が使われています。


 形状から子どもが思わず拾って手に持って遊んでいると爆発して手を吹き飛ばされ、目をつぶされる被害を受けることになります。

 これは朝鮮戦争の時に、中国軍の人海戦術に手を焼いたアメリカ軍が後に開発した大量殺戮兵器で、「クレイモア地雷」と呼んでいます。


地雷とは言うものの実質爆弾です。プラスティック爆薬の中に700個以上のパチンコ玉が埋め込まれていて、爆発すると扇型にパチンコが飛び出しますので、100メートルくらいの兵士を一挙に殺傷させることが出来ます。実際の使用時にはワナ線を使い、それを引っ掛けると爆発するようになっています。

 こちら(写真左側)は手榴弾に棒をくっつけたような形をしている対人地雷です。これもワナ線を繋いで引っ掛けると爆発するようになっています。

 その次のとても小型の対人地雷はカンボジアでよく見つかるものです。プラスティック火薬は20gくらいしか使われていませんが、大人の足を吹き飛ばす威力を持っています。原産国は分かりませんが、ロシア製や中国製のものが大量に使われています。

 これは対人地雷の地雷原サインです。地雷原に一般市民が立ち入らないないように立てられています。世界共通のデザインです。今ではすっかりポピュラーになりましたが、使われ始めた頃には、どくろマークが笑っているように見えるということで、警告の意味をなさなかった、という笑えない話があります。

【取り組み】


 ダイアナ妃については皆さんよくご存知のことと思います。対人地雷問題と関連して覚えている方もいらっしゃるでしょうね。


彼女の貢献はそれまでメディアが足を踏み入れることの少なかった地雷原に彼らを連れていった事です。ダイアナ妃の行く所、必ずメディアがついて行くということを利用した見事な戦略でした。


ここでお見せするような写真が世界中で報道され、対人地雷問題が一気に世界中の耳目を引きつけ、知られるようになったのです。

 この写真は子どもたちが地雷原のすぐ近くで遊んでいる姿です。自分の家の間近に地雷原があるなどという状況は少し前までカンボジアでは珍しいことではありませんでした。


ICBLの地雷大使であるソン・コサルさんも幼少の頃、自分の家の裏庭で対人地雷を踏んで片足を失いました。

【援助】


対人地雷問題の援助の大きな柱は、地雷除去です。金属探知機を使って一つずつ人手で除去するのが一般的です。こうやって見つけた対人地雷に別の爆薬をくっつけて爆破処理するのがカンボジアでは一般的です。

こちらの写真は不発弾です。かつて内戦を経験した国では対人地雷だけでなく不発弾も大きな問題です。やはり、住民を無差別に殺傷するからです。


総称して戦争残存爆発物(ERW)と呼ばれます。

【対人地雷全面禁止条約】



対人地雷の脅威にどう対抗していくべきかと考えて、一つの有力な方法として採用されたのが「対人地雷全面禁止条約」です。


カナダが主導して成立した条約のため、オタワ条約と呼ばれています。1997年に成立し、1999年3月に発効しました。


現在では世界中の国の8割ほどが参加していますが、地図でご覧いただくと良く分かるように、アジアに参加していない国が目立ちます。


中国とインド、ロシアが参加していませんからどうしてもそのように見えてしまいます。これら以外に対人地雷全面禁止条約に参加していないのはアメリカです。


これらの国々は対人地雷を非常にたくさん保有していますので、是非条約に参加させたいところですが、なかなか参加しません。大きな問題です。

【グラフ資料】





ここにお見せするのは、対人地雷による被害者数の年別変化です。2000年ころには世界中で毎年2万人以上の被害者が発生していました。それが最近では4000人〜5000人に減少してきています。


ただし、私達は被害者ゼロを実現させたいと考えていますし、この統計数値が正確な数字かは疑わしく、実際にはこの倍以上の死者が発生しているという専門家の意見もあります。統計数字を取っていない国、報告がいい加減な国もあるからです。例えばアンゴラも被害者の数字が正確に出て来ない国のひとつです。


緑色の線は世界中から集まった対人地雷問題に対する支援金の金額の推移です。リーマンショック後の世界的な不況の中でも、それほど大きな落ち込みがないことは有り難いことです。


紫色の線は対人地雷全面禁止条約参加国数の推移ですが、ご覧のとおり頭打ちです。先ほどお話したような超大国を初めとする30数カ国はがんとして参加を拒否しています。世界中の国をオタワ条約に参加させることは至難の業です。


水色の線は対人地雷除去した面積の年別推移ですが、ほぼ毎年同じくらいの土地の対人地雷が除去されて安全になっていることがお分かりになると思います。


この赤い線は対人地雷の除去数です。年によって変動がありますが、正確な数字かどうかは分かりません。NGOと政府が公表している数字の合計なのですが、先ほど申し上げたように、政府によっては正確な数字を報告しない場合があるからです。

【対人地雷全面禁止条約の意義】



対人地雷全面禁止条約は国家とNGOの共同作業で出来た条約なのですが、なんと言っても、NGOの果たした役割が大きく、NGOが国家を動かした稀なケースです。市民が国家を動かしたとも言えますので意義深い条約です。


普通だと国家の決めたルールに国民(市民)が従うものですので、この条約に関しては逆転現象が起こったと言えます。


そして、この条約は抜け道が少ない条約です。使用禁止、生産禁止、備蓄禁止、そして移転禁止が盛り込まれています。ほぼ完全に対人地雷を禁止していますが、この条約にも抜け道は存在します。その事については後で説明します。

【忘却】



今、対人地雷問題で一番の課題は「忘却」です。先ほどお話したように30カ国ほどがまだ対人地雷全面禁止条約に参加していないのですが、巷では対人地雷の問題はもうすでに解決済みとも受け止められています。


私も、「まだ対人地雷問題なんかやっているの?」と時々言われますので、その度に「いや、まだこの問題は終わってはいませんよ」と言い続けています。


「忘却」とそれに伴う「無関心」は対人地雷問題の完全解決を遅らせる大きな障害です。

【被害者支援】



被害者支援についてです。被害者を出さないための回避教育はかなり浸透してきてはいますが、被害者そのものに対する支援は全く不十分です。


年間数億ドルの支援金が世界中から集まるのですが、被害者支援に廻るのはその1割以下です。支援金はもっぱら対人地雷除去のために使われ、被害者支援には廻らないのが現実です。


その理由としては、被害者支援の成果が数値として表しにくいという事情があります。どれだけ被害者の生活が改善されたかということを数字化することは難しいことですから。


一方、対人地雷除去も方は、何個除去したとか、何平方メートル安全になったかなどと数字で示すことが容易にできます。


そして、成果が数字で出れば、支援者に報告書が出せますから、継続しての支援を依頼しやすくなります。

【クラスター爆弾のこと】



対人地雷問題と同様に深刻な問題を市民にもたらしているのがクラスター爆弾の不発弾です。


クラスター爆弾は対人地雷とは違って、初めから人を殺すように設計されています。しかも何百人もいっぺんに殺すような大量殺人兵器です。


クラスター爆弾は基本的に航空機やミサイル、砲弾を使って運ばれ、空中で小爆弾がポッドから散布され爆発するように設計されていますが、実は不発弾が相当にでます。


例えばラオスにはベトナム戦争当時にアメリカ軍の爆撃機が落としたクラスター爆弾がたくさんあります。そして不発弾も非常に多く残っています。その数は何千万個だと言われています。

小爆弾は通称ボンボーズと呼ばれていますが、こういう球体で中に爆薬が入っています。不安定な状態でわずかな衝撃にも爆発しますので、農作業中などに被害に遭う市民が後を断ちません。多くの人々が死傷しています。

この画像はクラスター爆弾の被害者となった子どもです。破片が飛び散り身体に食い込むのです。生き残れれば幸運というくらいです。


クラスター爆弾禁止条約は2010年8月に発効しました。対人地雷禁止条約と比べると参加国は少ないです。まだ、十分とは言えません。

この地図は対人地雷やクラスター爆弾に汚染されている地域を色で示したものです。対人地雷が埋まっていたり、クラスター爆弾の不発弾が落ちている(埋まっている)地域です。

【私の対人地雷との関わり】



私がこの問題に関して関心を持ち、活動を始めたのは1998年です。きっかけは新聞の小さな囲み記事でした。


カンボジアで対人地雷の被害に遭った子どもの記事でした。とてもショックを受けて、生涯学習センターの講座でこの問題を取り上げました。10回連続の対人地雷問題の講座でした。


その時お招きしたのが、ここにおいでの北川代表を初めとする東京で活動していた対人地雷関連の活動家の皆さんでした。お付き合いはそれから今に至っているわけです。


私のやっている支援の中心は教育です。対人地雷の問題を世に知らしめることです。情報を伝えるために継続がなによりも大切だと考えて活動を続けてきました。


私の団体は中部地雷問題支援ネットワークと言いますが、当時いろいろあった対人地雷関連の団体の橋渡しをしたいと願ってつけた名前でした。


実績は今回のような講演会を年に2回続けてきました。今回で28回目となりました。


それと最近はあまり更新もしていないのですが、ホームページも運営しています。


情報収集のために現地を訪れています。カンボジアのシェムリアップには年に2回くらい通い続けています。被害者の方に会ったり、NGOを訪問して最新情報をもらったり、伝えたりしています。


マザーテレサの言葉、「愛の反対は、無関心」を心に活動を続けてきました。


2005年の愛知万博ではJCBLの対人地雷キャンペーンのお手伝いを1週間ほどしました。

【出会い】


対人地雷問題に取り組む活動の中で知り合った人ですが、この人は対人地雷で両足を失ったトゥン・チャンナレットさんです。ICBLの国際大使も努めています。


対人地雷問題の主要な会議にはほとんど顔を見せています。有名な地雷被害者のスピーカーで、英語も堪能です。

【戒め】



私の対人地雷問題への取り組みの原点になる言葉を最後に紹介します。


「負けても終わりではないけれど、やめたら負けだ」


継続が大切だと言う事を繰り返して、私の話を終えたいと思います。ご清澄ありがとうございました。




これから、ICBLの制作した最新画像をお見せします。


ICBL20周年記念動画(日本語字幕付き)



28回 白井講演後Q&A


Q、先ほど援助の資金はコンスタントに集まっているというお話がありましたが、その中で1割くらいしか被害者支援に使われていないというお話がありました。


被害に遭われた人たちは足や手を失った状態で生涯を生きて行かなければならないので、補装具とか車いすとかずっと使わなければならないですし、仕事にもつけないということで、本当にいろいろな支援が必要だと思うのですが、支援金はそういう人たちの生活費にも使われているのでしょうか。生活保障に支援金を使っているのでしょうか。


A、対人地雷の被害を受けている国のなかで、生活保障という仕組みを持っている国そのものがほとんど無いのが実情です。仮にあっても、非常に小額しか支給されず、とても生活をしていける金額ではありません。




Q、そういう保障制度は国によって異なるということでしょうか。


A、そうですね。そもそも日本のような生活保護や年金の制度を持っている国がアジアでは希有です。保険制度さえも無い国がほとんどです。ただし、一定期間従軍した兵士に年金が支給される制度を持っている国は結構あります。でも、一般市民の年金制度は無いのが普通です。


生活保障のお金を世界中の支援金から一部、地雷被害者に渡している国もありますが、小額です。むしろ、NGO団体が生活費を支給したり、現物支給する場合があります。一例として、北川代表がカンボジアで義肢装具を支給する団体を作られました。




(北川代表の補足説明1)


韓国では表向き、対人地雷は埋まっていないことになっていて、対人地雷被害者もあり得ないとされています。それで、対人地雷を踏んで被害にあっても、国家の支援が受けられないのです。


兵士は地雷で負傷すれば国家の支援を受けられます。北朝鮮との国境付近のDMZには対人地雷が多数埋められています。韓国国内の軍事施設の周りにも対人地雷の埋設地域があります。それらが雨で流されて移動します。すると山菜を取りにいった市民が対人地雷の被害を受ける事故が実際には起こっています。


でも、対人地雷は埋まっていないことになっていますから、被害を受けても国家の補助は受けられません。


韓国にKCBLという対人地雷禁止団体がありまして、被害者支援をするように韓国政府に働きかけていますが、まだ韓国議会が承認していません。


このように国によって、事情が異なりますが、国による援助は財政的な問題や政治的な立場から実施されていないのです。


カンボジアは政府が従順で、英国や他の国のNGOの支援を受けて被害者支援をやっていますが、ベトナムは自国のことに他の国の援助が入ることを嫌いますので、対人地雷の援助団体を入れないという状況です。


(補足説明終わり)




カンボジアの義肢装具の話に戻りますが、かつてはカンボジアの義肢装具は皆外国人の義肢装具士が製造していましたが、今ではカンボジア人の義肢装具士が育って、彼らが作っています。


このことはNGOの世界で有名な「魚を与えるよりも魚の釣り方を教えることが大切だ」ということの事例が実践された結果だと言えます。




(北川代表の補足説明2)


カンボジアの義足について言いますと、首都のプノンペンでは今や義足は余っています。


しかしながら、田舎に行きますと、対人地雷を踏んで足を失ったということを人に知られることが恥ずべきことだと考えて、隠しているケースが多いのです。


そういう状況では義足の需要が表に出ませんので、義足が被害者に届かないということです。


(補足説明終わり)




そういう考え方の源泉には、宗教観があります。仏教の輪廻の考え方です。あなたが対人地雷を踏んで足を失うような目に遭うのは、あなたが前世でなにか悪いことをしたからだと言うのです。


だから、足を失ったことを公言するのは「恥」なのです。我々の倫理観とは違う世界だということです。




(北川代表の補足説明3)


それで、田舎にいる対人地雷被害者数のデータが集まらないのです。通信の問題と恥の概念があって被害の話をしないので、正確な被害者数の把握を妨げているのです。


(補足説明終わり)




さきほど、アンゴラの話をしましたが、アンゴラも正確な被害者データが出てこない国です。


1999年にNHKの番組で「対人地雷の恐怖」というのが放映されましたが、その中で、対人地雷の埋設数が世界中で1〜2を争う国としてアンゴラが紹介され、人口1000万人の国に1300万個の地雷が埋設されていると説明されていました。


それなのに、アンゴラの年間被害者数は政府の発表で20名ほどです。これはいかにアンゴラの国土が日本の数倍あって、人口密度が低いと言っても少なすぎる数字です。


私は是非アンゴラに出向いて、実態を確かめたいと考えています。




Q、先ほどの話で、日本もオタワ条約にサインして対人地雷問題の支援をしているということですが、具体的にどれくらいの支援しているのでしょうか。


A、ODAの形で支援金を拠出しています。対人地雷問題の支援額は日本は毎年上位5番以内に入っている最大支援国の一つです。支援している主要な国はカンボジア、アフガニスタンです。


大きな支援を決定したので、故小渕総理大臣はカンボジアではUNCHRの明石代表とならんで有名です。


最新のデータでは、アメリカ、ノルウェー、オーストラリアについで4番目の支援国が日本です。年間4300万ドル(40億円ほど)を支援しています。




Q、アメリカは対人地雷全面禁止条約に参加していないのに支援額一番ですか。


A、これはアメリカのダブル・スタンダードと言えるかも知れません。国としてはオタワ条約に参加しないのです。アメリカの軍部は民間や他国に指図されてあの武器はダメ、この武器はダメなどと言われるのは論外と考えています。


ですから、当然対人地雷全面禁止条約に参加していません。これは他の未参加の大国も一緒です。でも、民間は違うのです。




(北川代表の補足説明4)


私見ですが、アメリカ軍の兵士達は参加したがっていると思います。アメリカ軍の兵士たちも対人地雷を踏んでいるのです。


アメリカが地雷撤去に熱心なのは、自国の兵士を守るためなのです。もちろんNGOの援助もありますが、政府も兵士達の父母からの突き上げで対人地雷除去に支援していると思います。


(補足説明終わり)




ただ、今アメリカ軍が派遣されているのはアフガニスタンとイラクだけですから、世界中に支援しているアメリカの中心はNGOだと言えると思います。


それと、アメリカ政府は独自にオタワ条約に書いてある内容を実践してきているという主張も繰り返しています。だから、オタワ条約に参加する必要もないのだという訳です。


実際、オタワ条約施行後、アメリカ軍は対人地雷の使用を一時停止しています。その背景には、先ほど北川代表のお話にもありましたが、自国兵士が自軍の埋設した対人地雷を誤って踏んで負傷する事態が相次いでいたのです。


作戦遂行上、効率が悪いのです。もともとはかつてのベトナム戦争のように周囲を敵に囲まれた陣地を守るために、周囲に広大な地雷原を作って敵軍の侵入を防ぐために使われたのですが、そういう戦い方はしません。


むしろ、対人地雷を使用すると自国軍兵士が傷つき、生き残った彼らと彼らの家族を一生涯養わなくてはならなくなります。これは経済的には非常に重荷です。


この結果は対人地雷の目的の一つでしたが、あくまで敵の国の経済を疲弊させるのが目的です。自国の経済がダメージを受けるのでは逆です。対人地雷の費用対効果が怪しいのです。 それに、軍人は仲間を大事にします。仲間が傷つくは嫌なのです。                                                             


それで、軍事的には方向転換したわけですが、市民主導で作られた対人地雷禁止条約は軍や国家にとって認めがたいものです。蟻の一穴ではないですが、一つこういう条約を受け入れてしまえば、他の兵器についても次々と禁止条約が作られ、受け入れざるを得なくなると危機感を持っているのです。


一例が世界で最も残虐な無差別大量破壊兵器は核爆弾ですが、それまで禁止しようとする条約ができたのではかなわないと思っているのでしょう。


アメリカ、ロシア、中国、インドなどオタワ条約に参加しようとしない国の考え方は同じだと思います。




Q、JCBLはICBLの下部組織ということですか。


A、その通りです。


(北川代表の補足説明5)


ICBLは国際的な活動をしているのですが、その傘下に約100カ国位に小さな団体がありまして、ICBLからいろいろな情報をもらっています。


例えば私もJCBLの代表ですが、最初のころには総理大臣への手紙の書き方、つまり早くオタワ条約に参加してくださいという手紙の書き方をICBLが教えてくれました。それから対人地雷がどんなものかとか、一般人向けの教育も作ってくれました。


私もJCBLを作った時には全くの素人だったのですが、何をどうやったらいいのか分からない時に、ICBLがいろいろ教えてくれました。


ICBLの傘下には例えばカンボジアにCCBL、ネパールにNCBL、韓国にKCBL、アメリカにはUSCBLがあります。日本ではJCBLの他にも「難民を助ける会」がICBLにメンバーとして参加しています。一つの国でたくさんの団体が加盟している場合もあります。


(補足説明終わり)




ICBLの特徴ですが、しっかりとしたピラミッド型の組織ではなく、緩い結びつきの組織です。対人地雷禁止という一点で結びついています。でも、何かキャンペーンをやる時には集まって協力し合います。


もうひとつの特徴はインターネットを非常に有効に使った組織だということです。例えば国連や赤十字のような団体のように大きなビルを持ち、多数の職員を抱えている訳ではありません。


小さな事務所に一人二人の専属職員がいるだけですが、インターネットによる情報の収集と発信の量が膨大なのです。世界中から逐次、対人地雷関係の最新情報が集まり、必要なメンバーに回送されます。


ICBL大きな会議の場合には世界中からメンバーが集合します。


ICBLのメンバーには元軍人もいます。政治家もいます。NGOもいますから、政府の専門職員と対等に渡り合う能力・知識・経験を持っています。


そんな圧倒的なパワーを持つICBLですが、依然としてアメリカ、ロシア、中国、インドなどの超大国をオタワ条約に参加させられないでいるジレンマがあります。




それでは、他に質問が無いようでしたら、少しお休みを取った後で、北川代表のお話を伺うことにいたします。


私の話はここまでです。ご清聴ありがとうございました。



(休憩中のQ&A)


Q、今でも日本では対人地雷を製造しているのですか。


A、対人地雷禁止条約参加後は条約の規定に従い、製造していません。




Q、新しい対人地雷も世界では作られていないでしょうか。


A、対人地雷の定義にもよります。例えば対車両地雷というものがあります。これは人が踏んでも爆発しますが、対人地雷とは見なされません。対人地雷禁止条約の対象外なのです。


(北川代表の補足説明6)


定義には「目的による定義」と「効果による定義」があります。対人地雷全面禁止条約が出来る時に、NGOは「効果による定義」を採用したかったのですが、各国政府は「目的による定義」を主張しまして、最終的に「目的による定義」を採用せざるを得なかったという経緯があります。


対戦車地雷を守るための(対戦車地雷を除去させないための)対人地雷はたとえ人が踏んで、足を吹き飛ばされ、あるいは死んでも、対人地雷禁止条約では対人地雷と見なされないのです。


本当に国際会議というのは自分に都合の良いように「落とし穴」をたくさん作ろうとする会議なのです。


NGOとしては人が踏んで爆発する地雷は全て対人地雷だという定義にしたかったのですが、政府側は戦車を守るための対人地雷は「対人地雷」ではないと言い張ってそれが通ってしまったということなのです。


対人地雷全面禁止条約も条文もよくよく読んでみると抜け穴だらけなのです。


「あるいは」とか「または」という接続詞が大きな意味を持つようになっています。


(補足説明終わり)



28回 中部地雷問題支援ネットワーク講演会 北川泰弘代表の部



JCBLの北川でございます。白井さんとは15年以上お付き合いいただいています。

【悪魔の兵器 —地雷— 】



白井さんの講演に追加していくつかお話しますと、まず対人地雷がどうして「悪魔の兵器」と呼ばれているかという点です。


私は戦中世代ですので、爆撃があると空襲警報が出て今にも爆弾が降ってくるかという恐怖の中で、まさに爆弾が落ちてくるのです。つまり予告があるのです。


でも、対人地雷の場合には戦争が終わって、銃や大砲やいろいろな兵器が武器庫にしまわれた後、全く平和だと思っているときに、平和な日常生活を送っているときに、あるとき地雷を踏んで、爆発して、突然不幸になるのです。


戦争の時に負傷するのと、平和になってから負傷するのでは、心の準備が全然違うのです。


平和な日常生活を送っている一般人を襲う兵器だから、「悪魔の兵器」なのです。


対人地雷は地中に埋められていますから、平和になって、一般の社会生活始まってもそのままになっています。


安全だと思っている草原に足を踏み入れたところ、突然不幸に陥るということなのです。

【対人地雷禁止の機運】



対人地雷を禁止しようという機運が生まれたのは1990年代です。1980年代は国家の安全保障が全面にうたわれていまして、国を守るためなら個人は少々のことは我慢しなくてはいけないとされました。


例えば1980年代まではアメリカを中心とする自由主義圏とソ連を中心とする共産主義圏が対立していましたので、共産主義の脅威を除くためには少々人間が不便な目にあってもしょうがないとされました。


要するに国家の安全保障が優先したのです。それが、ソ連が崩壊した後に「人間の安全保障」という概念が出てきたのです。その概念と対人地雷の問題が注目され始めたのが期を一にしたのです。


ですから、もし対人地雷全面禁止条約を1980年代に提案しても成立しなかったと思われます。


ところで、対人地雷問題に最初に気づいたのは難民の援助のために紛争地に出向いた国際赤十字委員会のお医者さんだとか、あるいは日本のNGOの人たちでした。難民の中で対人地雷を踏んでひどい傷や障害を受けている人たちをたくさん見て、初めて対人地雷の脅威に気づいたのです。


それが1990年代の初めのころです。それで最初に対人地雷の世界的な禁止団体を作ろうとしたのが、ベトナム戦争退役軍人財団(VVAF)の代表ボビー・ミューラーとドイツのメディコ・インターナショナルの代表トーマス・ゲバウワーでした。


もともと対人地雷の問題に関してはCCWという武器の制限条約がありまして、その第二議定書で議論されてきていました。しかしながら、それがまだ不十分で抜け穴だらけということで、それを改正しようと思いついたのです。


改正するためには国際的なNGOを作って、国際的なキャンペーンをしなくてはダメだということで、ジョディ・ウィリアムズという女性を新しい団体の事務局長に選みなした。


二人がジョディに会って、こういう団体を作って貰いたいと話したのが今から21年前で、結果ICBLが創設されたのが20年前です。

【対人地雷全面禁止条約】



先週ジョディにジュネーブで会って当時の話を聞いたのですが、当時ボビー・ミューラーとトーマス・ゲバウワーの二人に会って話した時には、まさか対人地雷全面禁止条約など出来るとは思っていなかった。夢のような話だと思っていたと言っていました。


ジョディが1992年にICBLを作って、対人地雷全面禁止条約に取り組んだ時には人間の安全保障という概念がありました。また、彼女は戦略を考え、政府レベルの人たちで対人地雷問題に理解を示す人たちを巻き込んで運動を展開していきました。


アメリカ、ロシア、中国、インドなどの大国は運動に参加してきませんでしたが、カナダ、ノルウェー、デンマーク、ドイツなどが人道問題に理解を示しましたので、そういう中小の国々を巻き込んで、NGOと一緒に運動していったのが成功の一因だったのです。


もう一つの要因は対人地雷被害者が見た目にもとてもかわいそうだということが分かりますから、地雷被害に遭った障害者の写真展を開催して、一般の関心をかき立てたということです。


こうした運動の結果、成立しないと思われていた対人地雷全面禁止条約が成立したのです。


先ほど申し上げたようにCCWの第二議定書というのがあるのですが、それを改正すればうまく対人地雷を禁止できると思っていたのですが、各国の政府の反対がありまして、改正は出来たけれど抜け穴だらけで実効性が無くないということで、新しい条約を作ろうということになりました。


そして、その条約も国連レベルの条約だと常任理事国が反対して、拒否権を発動すると、条約が成立しませんので、「この指止まれ方式」と我々は呼んでいるのですが、賛成する国だけが参加して、賛成しない国は不参加でも良いという条約を作りました。


15年前に調印式をやりました。そのとき、こういう条約には30カ国か40カ国くらいが参加すれば良い方だと言われていましたが、ふたを開けてみると、122カ国が参加してくれました。


122カ国の参加があった理由には、先ほどの白井さんの話にあったように、英国のダイアナ妃が対人地雷問題に取り組んだので、世界各国の新聞が書き立ててくれたことがあります。


もう一つはジョディとICBLが1997年にノーベル平和賞をもらったということが追い風になって、直後の12月3日の対人地雷全面禁止条約調印式に関係者の想像を超える122カ国が集まったと言われています。

【クラスター爆弾のこと】



対人地雷とは別にクラスター爆弾というものがありまして、親爆弾に子ども爆弾が200個以上入っているものです。


あまり高価になりすぎることも避けたいので、安物を作りますと不良品がでます。設計上は200個の内5パーセント以下なのですが、実際には10パーセント以上、悪ければ30パーセントも不発弾がでます。


小爆弾が不発のまま地面に転がります。これは対人地雷と一緒です。それで、不良品が出るような爆弾は禁止しようという動きが出て、2010年にクラスター爆弾禁止条約が発効しました。


ちょっと紛らわしいのですが、対人地雷全面禁止条約はカナダが主導して成立したのでオタワ条約、クラスター爆弾禁止条約はノルウェーが主導したので、オスロ条約と呼ばれています。

【劣化ウラン弾禁止条約などのこと】



実は対人地雷全面禁止条約、クラスター爆弾禁止条約ができたので、次は劣化ウラン弾禁止条約をつくろうという動きもあります。あるいは核兵器を禁止する条約をつくろうという動きも出てきています。


しかしながら、対人地雷やクラスター爆弾の場合にはお手元の写真のように被害者のひどい状態が目に見えるのですが、放射能汚染の場合には目で見えないので、一般市民の関心を盛り上げるのがなかなか難しいのです。


もう一つは、国連の安全保障理事会の下部組織に「放射能委員会」というのがありまして、そことWHO(世界保健機構)が文書を取り交わしていて、放射能の病気に関してWHOは何も言わないことになっています。


ですから、劣化ウラン弾を禁止する条約とか、核兵器を禁止する条約を作るとなると安全保障理事会を突破するのが難しいので、条約の成立はまだまだ先になると私は思っています。

【第12回対人地雷全面禁止条約締約国会議について】



先週(2012年12月3日〜7日)、第12回対人地雷全面禁止条約締約国会議(12th Meeting of States Parties, 12MSP)がジュネーブで開催され、それに参加して参りましたので、そのご報告をさせていただきます。


お手元に資料がありますが、まずオタワ条約の目的です。4つあります。

1、オタワ条約の目的



1)
全世界が対人地雷を禁止しようとする考えを承認すること
2)
保有する対人地雷を廃棄すること
3)
埋設された対人地雷を除去すること
4)
地雷の犠牲になった人、家族、地域社会に支援を提供すること


2)については、対人地雷は倉庫にたくさん備蓄されています。それが盗まれてどこかで使われる可能性がありますから、全て廃棄させようというものです。


また、4)のような規定の入った軍縮条約は初めてです。




2、オタワ条約の締約国


締約国についてですが、世界中で国が193あるのですが、今まで160カ国が対人地雷全面禁止条約に参加していました、今回の締約国会議の最中にポーランドが参加しましたので161カ国になりました。


1)
一度は対人地雷を使い、保有し、製造し、移動(輸入、輸出、運搬)した多くの国々
2)
大多数の対人地雷による被害を受けているか、過去に受けた国々
3)
キューバ、米国を除く米州の各国
4)
サブ・サハラの全アフリカの各国


これらの国々が条約に参加しています。




3、オタワ条約の成果


オタワ条約の成果としては、


1)
使用:160カ国が条約に参加して対人地雷の使用が劇的に減少した
2)
製造:かつて対人地雷を製造していた50カ国の中で34カ国が対人地雷全面禁止条約に参加して、製造を禁止した。条約に未参加の国々の多くも、対人地雷の製造、移動のモラトリアム(一時停止)を行った。
3)
保有地雷の廃棄:オタワ条約の大成功は保有地雷の廃棄である。今までに4450万個が廃棄され155カ国が保有を止めた。ただし、ベルラーシュ、ギリシャ、ウクライナが廃棄未了である。
4)
埋設地雷の除去:当初、地雷原があると報告した59の締約国の中で20カ国が地雷の除去の仕事を終えた。39カ国が除去を終えていない。
5)
多くの国々で毎年の死傷者の数が減った。
6)
生存者のニーズへの対応:生存者のニーズへの対応は重大な問題である。オタワ条約は生存者のニーズに応えることをうたった世界で最初の軍縮条約である。相当数の生存者を抱える多くの締約国が地雷生存者/一般障害者のニーズと権利に応える目的/計画を開発した。


2)について言いますと、日本もかつて対人地雷を製造していました。モラトリアムを実施しているのはアメリカや中国で、対人地雷の生産、使用、備蓄、輸出・輸入・運搬の一時停止を行っています。


3)で、なぜベルラーシュとウクライナが廃棄未了かと言いますと、先ほどの白井さんの話に出て来た「ちょうちょ地雷」がベルラーシュに350万個、ウクライナに600万個残されています。ソ連軍が武器庫から引き上げなかったのです。


ちょうちょ地雷の中には2種類の液体が入っていまして、焼却しようとすると毒ガスが発生するのです。ですから、廃棄がなかなか難しいのです。そんな訳で未だに廃棄が終了していないのです。


4)について図の薄いところは条約が発効したら10年以内に除去を終了しなければならない国で、濃いのは10年以内に除去が終わらなくてさらにまた10年間期限を延長した国々です。今年も4カ国が除去期限の延長をしました。少なくとも2020年以降も地雷除去が終わらない国があるということです。


5)で多くの国で死傷者の数が減ったと言っていますが、15年前には先ほど白井さんは毎年2万人が負傷していて、それが4千人になったと話しましたが、これを時間単位に直しますと、20分に1人が世界のどこかで対人地雷を踏んで死亡、あるいは怪我をしていたのが今では2時間に1人が被害に遭っていることになります。言い換えれば1日に12人の被害者がいるということです。


被害者が減ったことは間違いありませんが、問題はまだ残っているのです。


6)の問題です。新たに対人地雷を踏んで被害者になる人は減ったのですが、被害に遭って生きている人の累積数は着実に増えています。彼らのことを地雷生存者(survivor)と呼んでいますが、彼らのニーズへの対応は重要な問題です。


先ほど申し上げたようにオタワ条約は生存者のニーズに応えることを盛った世界初の軍縮条約なのですが、相当数の生存者を抱える締約国の多くが、生存者・一般障害者のニーズと障害者の権利に応える目的・計画を定めたましたが、まだ実行はされていません。


要するに、地雷除去は進んだけれども、生存者のニーズへの対応はされていないということです。




4、第12回締約国会議(12th Meeting of States Parties, 12MSP)とは


1)
12MSPはオタワ条約を承認した160カ国の、正式な外交会議である。
2)
12MSPは、2009年の第2回検討会議(カルタヘナ会議)と2014年の第3回検討会議(マプート会議)の中間点で、カルタヘナ・アクション・プラン(2009〜2014)の進行をチェックする好機である。チェックの結果は12MSP’s Geneva Progress Report として記録される。
3)
12MSPはオタワ条約が地雷犠牲者に応えることと、障害者権利条約を保障する幅広い努力をつなぐ好機でもある。12MSPの初日の12月3日は世界障害者デーでもある。
4)
4カ国(アフガニスタン、アンゴラ、キプロス、ジンバブエ)は除去期限の延長を新たに要請し、認められた。
5)
ベルラーシュ、ギリシャ、ウクライナの3カ国は保有地雷の廃棄期限までに完了せず、数年が過ぎているが、廃棄のプロセスを良く報告している。
6)
12MSPはジュネーブの国連ヨーロッパ本部の会議場で開催されて約100カ国の政府代表、多数の国際機関、NGOから約800名が参加した。
7)
参加国の中には、条約に未参加の非締約国、17カ国のオブザーバー参加があった(中国、ラオス、レバノン、リビヤ、ミャンマー、オマーン、サウジアラビア、シンガポール、アラブ首長国連邦、米国、ベトナム、他)。このことはマインフリーの世界を目指すオタワ条約の規範が国際社会で認められていることを示している。


第12回締約国会議は先週(2012年12月3日〜7日)ジュネーブで開催されました。


1)ですが、外交会議なのにどうして我々のようなNGOが出席出来たかと言いますと、先ほど申し上げたように、対人地雷全面禁止条約は政府と民間が共同で作った条約だからです。


それで、この会議では、我々も歓迎されるのです。我々の代表がICBLなので、ICBLも非常に貴重な情報を提供して会議をスムーズに進めています。


2)について、オタワ条約は5年に1回見直すことになっています。 2009年が第2回の検討会議でコロンビアのカルタヘナというところであったので、カルタヘナ会議と呼ばれています。


次の第3回検討会議は今回の会議中に名乗りを上げた、ジンバブエで2014年に開催される予定です。


4)についてですが、今回新たに5カ国が地雷除去の完了を報告しました。一方アフガニスタン、アンゴラ、キプロス、ジンバブエの4カ国が期限内に除去が困難と、期限の延長を申請して認められました。


5)について言いますと、ベルラーシュ、ギリシャ、ウクライナの3カ国は期限までに地雷除去を完了しておらず、条約を破っているのですが、廃棄のプロセスは良く報告しているので、それは評価しているとしています。


6)について言いますと、この会議場に入るのは大変なことでした。身体検査も厳重にされました。そんなことからも、今回の会議が意義あるものだったと思います。

5、その他



1)
オタワ条約の成果の一つとして、世界で毎年地雷の犠牲になる死傷者が12,000人であったのが4,000人に減ったとJodyが挨拶の中で述べた。
2)
生存者の累計は増加しつつあるのに、犠牲者支援の援助額が2011年は前年に比べて30パーセント減少したのは問題であるとされた。
3)
埋設地雷の除去、保有地雷の廃棄が終わったと発表した後に地雷が発見された場合はどうするかについて、オタワ条約に記述がないので、対案が示されて議論された。
4)
焼夷兵器の使用禁止についてはCCWの第3議定書がある。しかし、白燐弾等人間に過度の苦痛を与える兵器を使用禁止にするには不十分なので、2013年の第4回CCW検討会議で議定書の改訂の議論を始めるべきだとの非公式プレゼンテーションがHRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ=人権監視委員会)によって開催された。ロボット兵器も紹介された。
5)
米国はNATO諸国の中で条約に未参加の最後の一カ国となった。オブザーバーとして参加し、2009年から再開したオタワ条約参加の検討を続けている。条約に参加するか否かを「まもなく」発表すると述べた。
6)
パレスチナが初めて締約国会議に参加し、オタワ条約に加入したいという希望を述べた。パレスチナは国連のメンバーとして認められる日は近いのである。
7)
12MSPは地雷犠牲者の参加が際立っていた。ICBL地雷大使、カンボジアのチャンナレットは対人地雷が人間に及ぼす悪影響について話し、医療、介護施設へのアクセス、社会復帰の難しさを述べた。ウガンダのマーガレットは生存者のニーズに応えるためにサービスのギャップをさらに明らかにすべきだと述べた。


3)について、例えばドイツの場合、対人地雷除去は終了したと発表していたのですが、ソ連の訓練所跡の中に対人地雷が新たに見つかったと報告しました。


しかし、オタワ条約の中には除去が終わった後に、また新たに発見された時にどうするかということは書いてないのです。


ですから、オタワ条約に書いてないことが起きた場合にどうするかということについて、各国が対案を出して議論されたのですが、その結論がどうなったのか私も分かっていません。


4)についてはアメリカのNGOのHRWの時間外プレゼンテーションが行われたのですが、ロボット兵器はアフガニスタンで2000機くらい使っています。


これらを操縦するアメリカ兵はアメリカ本土にいて、夜は家族のもとに帰り、普通に楽しく暮らしていますが、朝出勤してロボット兵器の操縦ボタンを押して、アフガニスタンやイラクのテロ組織の兵士を殺害していると言います。


そういうSFのような時代が来ているのです。


5)についてはアメリカがオタワ条約に参加するかどうか分かりませんが、JCBLとしては、2013年8月に来るオバマ大統領の誕生日に誕生祝いのメッセージを送って、その中で早くオタワ条約に参加するよう働きかけたらどうかという話が内々出て、相談しています。


6)のパレスチナについては国連が正式に国家として認めれば、オタワ条約に参加することが可能となりますが、承認にはまだいろいろと手続きがあるようです。手続きが終わればオタワ条約に参加するでしょう。


7)についてですが、オタワ条約の締約国会議では対人地雷犠牲者がとても活躍しています。ICBL地雷大使のカンボジアのチャンナレットは対人地雷による両足切断の犠牲者です。そういう人が話すと真に迫った話をする訳です。


それと、資料には書かなかったのですが、ソン・コサルというカンボジアの別の犠牲者も今や大人になってとても美人ですが、発言していました。


ウガンダにはマーガレットという対人地雷の片足切断の犠牲者がいますが、障害者が医療施設、介護施設にアクセスするのに不便があり、障害者のニーズと現実にギャップがあると訴えていました。




以上簡単にまとめましたが、参考になればと思います。


別のお話で、天野さんというジュネーブ在住の軍縮大使の発言ですが、特に日本は南南協力とか三角協力と呼ばれる援助を20年くらい前からやっています。


日本が出資し、カンボジアが先生になって、アフリカのどこかの国の地雷除去のやり方を教えるというものです。


カンボジアは世界有数の対人地雷埋設国なので、地雷除去については優れた技術を持っているのです。ですからカンボジアの地雷除去チームがどこかの国に行って支援するということが可能です。


日本の資金援助ですが、カンボジア人が教えるので、カンボジア人自身も、自分たちの地雷除去技術が役にたったということで非常に誇りに思うので、とても良いのです。


日本政府はこういう南南協力をどんどん押し進めています。


以前、カンボジアからアフガニスタンに女性を含む地雷除去チームが派遣されたことが報道されました。


何かご質問があればどうぞ。



【質疑】



Q、カンボジア同様ラオスもベトナム戦争に関連して、随分地雷被害もあったと思うのですが、未だにオタワ条約に参加していないというのは何か理由があるのでしょうか。


A、ラオスの場合には対人地雷よりもクラスター爆弾の被害が深刻なのです。一方、対人地雷被害は割と少ないのです。


ですから、クラスター爆弾禁止条約には参加していても、オタワ条約には参加していません。


オタワ条約に参加すると、犠牲者に対する支援とか、いろいろな義務が課せられます。ですから、ラオス政府は意識的に参加していないのではないかと思われます。


一方カンボジアはオタワ条約には参加していますが、クラスター爆弾禁止条約には参加していません。


我々は両国に、二つの条約に参加するよう呼びかけているのですが、直接関係のない地雷やクラスター爆弾のために余計な義務が生じるのはごめんだという姿勢のようです。




Q、対人地雷の除去作業がとても危険だというお話でしたが、一つずつ手で探りながらやるのでしょうか。


A、 ブルドーザーのような機械を使って対人地雷を除去するやり方もあるので
すが、90パーセントくらいの除去率なのです。残った10パーセントを人手で探さなくてはならないということです。


機械では100パーセントの除去が出来ないというのがネックです。




話は別ですが、地雷原だと思われていた地域が調べてみると、実は対人地雷が埋まっていないことが分かったということもよくあります。


カンボジアでも、地雷原と思われてきたけれど、3年以上お百姓さんが耕してきたけれど被害に遭わなかったので、安全と宣言しようという場所もあります。


ランドレリース(安全宣言)については国によって基準がまちまちです。カンボジアは先ほどお話したように、3年耕しても地雷被害が起きないことが基準になっています。


荒っぽいやり方ですが、経済的な問題でそうせざるを得ないのです。




これまた、別の話ですが、地雷探知機は地表から20センチメートルくらいまでしか探知できませんが、ダウンジングで針金のようなものを使うと地下5メートルの地雷まで探知できると聞いたことがあります。


ビル建設のためにブルドーザーで掘り起こすと地下深くに地雷が見つかることもあるようです。湿地帯で、雨期があるため、地中深く埋め込まれるためです。


別な意味ですが、カンボジアのバッタンバンでは、昔からベトナム軍やタイ軍が占領したりして、いろいろな戦争が繰り返されてきましたので、対人地雷も年代で層になっています。日本の貝塚みたいなものです。




Q、オタワ条約に未参加の国の中には未だに対人地雷を使っている国があるのですか。


A、
あります。それどころか条約に参加していながら使っている国もあります。




Q、それは 条約に違反しているのではないですか。


A、その通りです。シリアとかリビヤとかです。オタワ条約に参加していても対人地雷を使ってはいけないのは、政府軍です。反政府ゲリラはオタワ条約に制約されないのです。


それで、ジュネーブの市民団体で、ジュネバコールというのがあります。そこが各国のゲリラグループと接触して、対人地雷の使用禁止の文書を交わしています。これをリードオブコミットメント(濃い約束書)と言います。


例えばフィリピンのミンダナオ解放戦線はジュネバコールと対人地雷不使用の約定を交わしています。


世界にはこういう活動をしている団体がいくつかあります。


でも、反政府武装勢力のすべてがそういう約束をしている訳ではありませんので、約束していない反政府武装勢力はオタワ条約に制限されておらず、対人地雷を使い続けています。




Q、取り除いても、取り除いても一方で新たに対人地雷を埋めていては、「いたちごっこ」ではないでしょうか。


A、そういうことも起こっています。最近のニュースで南米のコロンビアで対人地雷被害者の数が非常に増えていると報道されましたが、その理由は反政府ゲリラによる対人地雷の使用だと思われます。




Q、生存者のニーズに応えるという話がありましたが、例えばどのようなニーズがあるのでしょうか。


A、例えば、義足が欲しいと思っても手に入らないということとか、病院に行きたいと思っても、お金がないので行けないとか、病院が遠すぎて行けないとか、社会復帰については障害のある人は雇用されるのが難しい現実があります。




Q、生存者のニーズに応えるべき計画を立てたけれども未実行というお話があったのですが、マーガレットさんのいうギャップとの関係はありますか。


A、ギャップというのは、生存者がやってもらいたいことと、政府がやっていることとのギャップです。そのギャップは埋められていないのです。


実は障害者権利条約に日本も批准していないのです。批准するためには全ての小学校にエスカレーターを取り付けなくてはならないのです。


私もパリでエスカレーターが故障していて重いバッグを持っていたので困った経験をしました。でも、パリの若者は親切で、私が高齢なのでバッグを持ってくれて助かりました。


話は違いますが、ICBLの成功の一因は対人地雷犠牲者をうまく利用したことだと思います。


残念なのは、チャンナレットさんやソン・コサルに英語を教え、国際的に通用するように育てたのがオーストラリア人のシスターのデニーズなのですが、彼女はいつも陰に隠れているのです。


私はデニーズさんのような人こそが賞賛を浴びるべきだと思っています。




さて、こういう会でいつも出る質問に「では、私に何ができるのか」とか「あなたは何を私に要求しますか」というのがあります。


答えはいつも同じです。講演会で学んだことを忘れないで欲しいということと、もう一つは学んだことを誰かに話していただきたいということです。


日本の対人地雷問題に対する年間支援額は最新のデータで43億円です。この金額は戦闘機の一機分にもなりませんが、こんな不況下でも良くやっていると評価できる金額だと思います。


皆さんには国内が火の車の時に対人地雷問題などにお金をまわすのは止めておけという意見には賛同していただきたくありません。


ただ、日本の支援は世界で4番目ですが、犠牲者支援は統計上ゼロなのです。政府は一般障害者には支援していると言っていますのでデータの取り方の問題かも知れませんが、他の国では犠牲者支援のために支援枠を作っています。




Q、対人地雷犠牲者がゼロになるのには後何年かかるのでしょうか。


A、埋設された対人地雷数が6000万個と推定され、一方で毎年30万個の埋設地雷が除去されていると報告されていますので、このペースでいけば200年でゼロになる計算です。


ですが、紛争が多くなれば埋設地雷の数も増えて、対人地雷ゼロの日も先に延びるでしょう。


ただし、局所的に見れば、カンボジアの場合には相当集中的にお金と人が対人地雷除去に注ぎ込まれているで、ここ10年かそこらでゼロに近づくのではないかと言われています。


先ほどの計算では200年でしたが、実際のところ、対人地雷が何個埋まっているかははっきりしていません。もっと少なければ、埋設地雷ゼロの日はもっと早く訪れるでしょう。




話は変わりますが、対人地雷の定義に当てはまらない地雷もあります。ネパールの手作り地雷、遠隔操作の地雷、即席爆弾(IED)も遠隔操作されますから地雷と定義されていません。






随分長くなりましたので、今日の講演会を終了したいと思います。ご清聴ありがとうございました。



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