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定期講演会記録26、27

第26回、27回 中部地雷問題支援ネットワーク講演会
3.11被災地で考える対人地雷問題

私たちのことをわすれないで


今回は26回、27回をほぼ同じコンテンツで場所を変えて
実施しました。どうか、ご覧ください。

開催日時  1) 平成23年12月3日(日) 午後1時15分~4時15分、
      2) 平成24年2月25日(日)午前10時~11時

開催場所  1) なごやボランティア・NPOセンター 伏見ライフプラザ12階 集会室
      2) 一関市大東町摺沢 レストラン「バンバン」

講  師  1)、2)共に 中部地雷問題支援ネットワーク 白井敬二

参加者   1) 10名
      2) 13名   

対人地雷と3.11被災地

私が陸前高田市に来た理由

本日は、お忙しい中この講演会にお出でいただき誠にありがとうございます。

今日私が皆さんにお話しする事は決して難しいことではありません。

パンフにも書きましたように【忘れないで】をキーワードに、

▼対人地雷の問題のこと、

▼津波被害のこと、そして

▼あなたにも必ず出来る支援に

ついて分かりやすくお話ししたいと思っています。



話を進める前に少しだけ私のことを紹介いたします。58歳の名古屋市職員で、
3月まで陸前高田市に派遣されています。仕事は介護保険です。

3.11の地震、津波の後、映像を見るたびに泣いていました。何かをしなければならない
と思っても、具体的にできることを思いつかないまま、日にちが立ちました。
そんな時に、市長から市をあげての被災地支援の話がでました。

私はこれだと思いました。幹部会で手を上げましたが、まともに取り扱って
もらえませんでした。でも、結果的に5月17日にこちらに来ることができました。

周囲からは意外なことに、「なぜ、あなたがわざわざ行くの?」と良く聞かれました。
中には「あなたはバカだ」と言う人もいました。そうかもしれません。

でも、

▼生まれて来たことへの感謝を示したかった

▼被災地支援で私の出来ることはこれだと思った

▼こちらで寄り添いたかった

▼部下がだれも手を挙げなかった

▼職も失わずに支援ができるのは超ラッキーと思った

こうした思いを込めて、私は寸分も後悔していません。

私の行動のベースには敬愛するマザー・テレサの
「愛の反対は憎しみではない。無関心だ」
という言葉と

「自分が変わらなければ何も変わらない」
という教訓があると思っています。


対人地雷問題のこと

ここから対人地雷問題の話に入ります。

私がこの運動に関わるきっかけは1998年に新聞で見た小さな囲み記事でした。
カンボジアのとある村で対人地雷を踏んだ子どもが亡くなったというものでした。
医療もなく地雷を踏めば死ぬのを待つだけ、とありました。不条理さに涙がでました。

それをきっかけに対人地雷問題に取り組むようになりました。

1998年に日本で初めての10回連続の対人地雷問題講演会を開催し、講座終了後に
中部地雷問題支援ネットワークというNGOを立ち上げました。

翌年には対人地雷問題の日本を代表するNGOのJCBL(地雷廃絶日本キャンペーン)
の会員になりました。

その後、今日までホームページの立ち上げ、講演会の開催を続けてきました。


ここで対人地雷の歴史を少しお話します。対人地雷はアメリカ南北戦争から使われた兵器です。
最初は殺傷を目的としていました。被害者の余りに惨たらしい死に様に「悪魔の兵器」と
恐れられました。

対人地雷の進化は凄まじく、第二次世界大戦では3億個も使われたと言います。

今日の対人地雷は兵士を殺さないで足を吹き飛ばすように作られています。

現在世界の72か国7地域に約6千万個が埋設されています。対人地雷の寿命は長く、
100年も危険性が継続すると言われています。

対人地雷が問題視されるのは、子ども、女、男すべてを無差別に傷つけるからです。
しかも、長い時間です。そして傷は極めて惨く、残虐なものです。

ここで対人地雷の模型をいくつかお見せします。

これらの対人地雷が戦争や内紛で多数使われ、戦争の終ったあとに市民が被害を
被っているのです。

クラスター爆弾というものもあります。これは空から広範囲に落とし、一度に
多数の兵士の殺傷を目的としていますが、不発率が高い為、不発弾が非常に
問題になっています。特にラオスで多くの被害がでています。

クラスター爆弾の模型もお見せします。(模型を展示)

被害者の写真をご覧ください。クラスター爆弾は特に子どもの被害が多いのが特徴です。

対人地雷禁止の機運は1960年代からNGOで紛争地に入った人達が惨い傷に
気づいて、起こりました。1992年には国際地雷廃止キャンペーンができました。
5年後には対人地雷全面禁止条約、2008年にはクラスター爆弾全面禁止条約が
成立しました。

ただ、アメリカ、ロシア、中国、インドなどの大国が参加しておらず、これが懸案の
大きな問題です。

対人地雷全面禁止条約の施行により、対人地雷等をめぐる状況はかなり改善されて
きましたが、もちろん被害者がゼロになったわけではありません。

公にカウントされた被害者だけでも、世界中で年間4000人ほどいます。少ないと
思われるでしょうが、あくまで分かっている範囲です。

統計を全く取っていない国もありますし、いい加減な統計の国もあります。また、
死者はカウントされません。ですから、この数字の数倍の被害者がいても不思議
はありません。


対人地雷問題はあらたに対人地雷を埋めなければ、地中に埋まっている地雷を一つ
残らず取り除けば必ず被害者ゼロが実現できます。ただ、現実には現在でも
イスラエル、リビヤ、ミャンマーが対人地雷を敷設し続けています。


もしこれを無視するなら、今の除去のスピードで対人地雷を掘り続ければ約150年で
すべての埋設地雷がなくなるはずです。

対人地雷の問題で最も深刻なものは、「記憶の風化」です。今ではマスコミは
ほとんど話題にしなくなり、世間も関心を失いました。でも、対人地雷の埋設数が
激減したわけではありません。地雷の危険はまだまだ残っています。

急務の問題は、被害者支援が決定的に不足していることです。世界中から集まる
支援金380億円の1割しか、被災者支援に使われていません。地雷被害者とその
家族達は非常に厳しい生活を強いられています。

対人地雷で両足を失ったカンボジアのノーベル平和賞受賞者、トゥン・チャンナレットは
常々言っています。「私たちをわすれないで」と。





津波被災地支援のこと

ここから津波被災地支援の問題に移りますが、初めに先ほど紹介しました
トゥン・チャンナレットが被災地の皆さんにと送ってくれた言葉がありますので、
日本語に訳したものを読みあげます。


みなさん、こんにちは。私はトゥン・チャンナレットと言います。カンボジアに
住んでいます。できれば、皆さんとお会いしたいのですが出来ません。残念に思います。

今日、私があなたに言いたいのは私があなたの友人であり兄弟だということです。
どうかこのことを忘れないでください。

私は、今回の震災であなたが親兄弟、奥さん、子どもさん、そして親類縁者を亡くされた
ことを知っています。でもあなたには私という兄弟がいます。あなたと私は一つの家族です。
私はどこにいてもあなたの苦しみを感じます。そしていつも世の中に悲しみが溢れている
ことも感じています。

私はいつもあなたの事を思っています。考えています。あなたを見守っています。
あなたの悲しみ、苦しみを理解しています。

あなたはこの世界がとても近く狭い事をご存知でしょう。小さなこの世界であなたと私は
兄弟なのです。

確かにあなたは今回の震災でお母さんをなくしました。奥さんを、そして娘さんを
亡くしました。でも、私というあなたの兄弟がいます。いつも私がいることを忘れないで
ください。私達はみな兄弟なのです。

私達はこの世界で生きています。私達は単に自分が儲けるためだけに働くのではありません。
私達は人のために、恵まれない人のため、障害を持っている人達のために働くべきです。

これは私の本心の手紙です。私はあなたのことをいつも思っています。

どうか、互いに心を通わせましょう。力を合わせましょう。

私は対人地雷問題キャンペーンもクラスター爆弾問題キャンペーンにも参加していますが、
全ての国、全ての人々が参加することが大切だと考えています。

結束し、いっしょに活動し、お互いがお互いを思いやることこそが大切だと思っています。

ご覧のように、私は両足を失いました。あなたはご家族を失いました。失ったものがある
という共通点で、私達は心を通いあわせ、助け合うことが出来ます。そして安全な村、
安全な社会、安全な家庭を作り上げることが出来ます。

どうか、「希望」を持ってください。確かにあなたは両親を失いました。でも世界中に
あなたのことを思ってくれる両親とも言える人々が大勢います。そしてあなた同様に親を
失ったたくさんの恵まれない子ども達がいます。

どうか、もう一度あなた自身の人生のために働いてください。そして他の人のために働く
ということにも目覚めてください。全ての人類のために、すべての恵まれない人のために
生きるということにも目覚めてください。

なぜなら世界中の人々はみな兄弟だからです。

お聞きいただいてありがとうございました。

福島原発事故のこと

3.11東北大震災の被害はご覧のとおり、甚大なものがありました。

陸前高田市の瓦礫の山はこんなものが少しずつ減ってきましたが、まだ1割程度しか
片付いていません。

復興計画が昨年12月1日に発表されましたが、今後8年間の長期戦で、住民からは
行政の方針を待っていたら何も出来ないという厳しい声も聞かれます。

特に高齢者からは「もう時間が無い」と悲痛な声が上がっています。

ですが、過去の例などを参考にすると、復興には何十年もかかるというのが実態です。

ここで一つ忘れてはならないのが福島第一原発事故です。野田首相の「終息宣言」を
信じている国民は一人もいないでしょう。福島原発事故は現在進行形のものであり、
極めて深刻な危うい綱渡りの状況が続いています。

もし、同じような規模の原発事故が再度起これば、日本が世界の経済から完全に
除外され、滅亡するという予想を立てている金融市場関係者もいます。

福島原発事故の影響は日本中、世界中に拡散しましたが、岩手県ももちろん酷い汚染に
晒されています。世界遺産の平泉は完全なホットスポットですし、ここ一関市も相当
酷い汚染地域になっています。


福島の高校生がブログで発表したこのメッセージには心が痛みます。


「テレビなどでは、少しずつ震災のニュースが少なくなってきました。
ボランティアの数も激減してきました。被災地では、忘れられることが怖いのです。
みなさん、わたしたちを忘れないでください。」

この子の言っていることがピンとこないかも知れませんが、被災地の記憶の風化は
確実に始まっています。

例えば被災地支援のボランティア数は東北全体で23年5月に1万人いたものが
24年1月には1000人にまで激減しています。被災した県市の社会福祉協議会も
ボランティアの減少に危機感を抱いています。

対人地雷問題と被災地の共通点

ここで、対人地雷被災国と3.11被災地から見えてくる共通点をまとめてみます。

▼心のケア、

▼長い時間、

▼巨額の資金、

▼自立の問題

が両者に共通する課題です。

いずれの問題も深刻で、思わずため息の出るようなものばかりです。ですが、そこに
住む人たちにとっては、日々直面する問題でもあります。

彼らに何が必要かと問われれば「希望」と答えたいと思います。そして、希望を
生み出す源泉は「笑い」です。

かつて訪れた地雷被災地でも、今回の津波被災地でもやはり、笑顔がありました。
最初はなぜ、「笑顔」があるのか分かりませんでした。でも希望を生み出す源泉が
「笑い」だという事に気づきました。

人はあまりに惨い状況にさらされると、泣くことも忘れます。少し平静になれて
やっと泣けます。でも、泣いてばかりでは心が弱ってしまいます。

笑う事も元気になるために必要なのです。泣いて、笑って、泣いて、笑ってという
繰り返しが生きる力につながるのです。


もう一つの共通点が「忘却は悪」という事です。


端的に言ってしまうと、痛みを忘れてしまうから、「過ち」を繰り返すのだということです。

今回の陸前高田市における2000名近い死者、行方不明者の大きな原因が「忘却」
だと言って間違いないでしょう。

「津軽てんでんこ」の教え、道標の「ここより先に家を建てるな」の教えを守って
いたなら、これほどの人的被害は出なかったでしょう。

この本は有名な山下文男さんの著書「津軽てんでんこ」です。みなさんご存じだと
思いますが、この本の教えを十分理解し、備えをしていたなら、今回の被害もずっと
少なく済んだことでしょう。

あるメディアに掲載された陸前高田市民のつぶやきに「津波をなめていた」
いうものがあります。

高台までの距離が長かった(一番遠いところで8キロメートル)、市民の津波に対する
意識がかつてのチリ沖地震の時の3メートル程度だと思い込んでいたことが大被害の
主な原因だったことは誰もが認めるところでしょう。

でも、不思議なことに、あの震災から1年が過ぎようとするのに陸前高田市では
「反省と総括」さえも十分にされていません。未来に向かって、教訓の学びと訓練を
早期に開始しなければ同じ轍を踏むことになります。

人のすることに満点はありません。日ごろから真剣に避難訓練を繰り返しても
被害者ゼロは達成しがたいのです。私たちはひたすら「被害の最小化」を目指して
いくしかないのです。


繰り返しになりますが、地雷被災地の人たちも津波被災地の人たちも自分たちが
忘れ去られてしまうことに恐怖感を持っています。

あなたに出来る支援のこと

さて、私がかつて対人地雷の講演会をした時によく出た質問に「話はよくわかりました。
では、私たちは何をしたらよいのでしょうか」というものがあります。

今回の津波被害についても同じ思いを持っておられる方が多いと思います。そこで、
この点について少しお話します。

はっきり言うならば、なんでも良いのです。でも、関わる以上は

▼背伸びせず、

▼マイペースで、

▼ずっと続ける、

ことを念頭に置いて行ってください。

そんな意味で一つお奨めする支援が、神戸の震災で親を亡くした子供たちに修学資金を
16年間提供し続けてきた「あしなが基金」への協力です。今回の東北大震災の支援の
ために東北にも施設を作る予定です。インターネットでさがした同基金のパンフを
プリントしましたので、参考にお渡しします。



最後に、もう一度言わせていただきます。誰にでも、どこにいてもできる支援とは
【忘れない事】です。そしてそれが【最高の支援】です。



本日貴重な時間をこの講演会のために割いていただいたことに深く感謝申し上げます。

最後に、お手元のアンケートの記入をよろしくお願いいたします。なお、私の任期は
3月一杯ですが、その間このような講演会を希望されるかたが一人でも二人でもいれば
どこへでも行って、開催いたします。気軽に声を掛けてください。

私のHPも紹介しておきます。

質問、ご意見等ありましたら、遠慮なくどうぞ。

もう一度最後に申し上げます。ありがとうございました。


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