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定期講演会記録14

第14回 中部地雷問題支援ネットワーク講演会
アフリカからの報告ー地雷、小型武器、女性と子供の人権

開催日時   平成17年9月17日
開催場所   なごやボランティア・NPOセンター
講  師   地雷反対ケニア連合(KCAL、Kenya Coalition Against Landmines)代表
       地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)諮問委員会委員  メレソ・アギナ女史
参  加   15名

 メレソさんは対人地雷禁止条約の成立過程にアフリカの代表として重要な役割を果たしました。またその後のオタワ条約を世界中に広める運動においても第一線で活躍されているアフリカの世界的リーダーです。
(挨拶--白井)
 本日は第14回の中部地雷問題支援ネットワークの学習会に参加していただき、有り難うございます。本日の講師はケニアからおいでいただいたメレソ・アギナさんです。メレソさんは万博のお手伝いで来日されましたのでこうしてお呼びする事ができました。
 アフリカは地理的に遠く、私達が日々接する情報も少ない訳ですが、こうした機会を通じ地雷、小型武器、人権の問題にリーダーとして積極的に取り組んでいらっしゃるメレソさんからお話を伺う事は大変興味深く、また意義深い事と思います。

(メレソ・アギナ 講演)
 コンニチワ。今晩この席にお呼びいただいた事にまず感謝いたします。皆さんとお会いできてうれしく思います。私はここ日本に滞在して万博のケニア館でほぼ5週間勤務しています。ちょっと長くなったなという感じです。私の名前はメレソ・アギナと言います。私はいろいろな団体で活動しています。地雷反対ケニア連合、世界地雷廃止キャンペーン、国際小型武器行動ネットワーク、そしてケニア最大の婦人権利向上のための団体でも働いています。
 今日は全ての活動を詳細に述べる時間はありませんので、全体の要点をお話しようと思いますが、まずアフリカにおける対人地雷の状況についてお話します。私の国、ケニアには対人地雷は埋められていません。そこでまずケニア以外の地域、そしてスーダンやソマリアの地雷の話をして、最後にケニアのお話をする予定です。

 世界的な地雷禁止の状況からお話しますと、1997年12月に対人地雷全面禁止条約が成立してから多くの進展がありました。アフリカについて言いますと、私が昨年まで視察・報告した各国の地雷の使用は減少してきています。それでもアフリカ大陸は世界で最も地雷に汚染された大陸です。机の上に置いてある模型に代表されるような多種多様な地雷がアフリカにはまだたくさん埋まっているのです。
 アフリカにおける地雷問題を歴史的に考えて見るなら、多くの国が植民地からの独立戦争を経験しています。いくつかの国にとって第二次世界大戦は独立への準備でした。地雷もその間にこれらの国々に浸透しました。独立がすんなり成立した国は稀で多くの国が内戦状態になりました。その結果、現政権と反政府勢力との紛争のなかで地雷が多用されたのです。今日のアフリカの状況を見ますと、皆さん御承知のように、2002年にアンゴラとソマリアで政府と反政府勢力の間で停戦合意が成立し、1992年にモザンビーク、2005年1月にスーダンで包括和平合意が成立しました。ソマリアを除いたほとんど全てのアフリカ諸国が対人地雷全面禁止条約に参加しています。これは進歩であり、結果として地雷の売買が減少しています。また、別の進歩もあります。つまり対人地雷禁止条約参加国の大半で埋設地雷が除去されるのみならず貯蔵地雷も破壊されているのです。多くの国で独自にあるいは協力して貯蔵地雷の破壊を進めています。紛争後で最も顕著な進ちょくがあったのがアンゴラとモザンビークで、多くの地雷が除去され、人々にその土地が返され生活できるようになっています。
 これから如何に彼等が地雷問題について成果をあげたかをお話ししたいと思います。まず第一に、彼等は地雷問題を一国の問題とせず、地域の共通の問題として互いに協調して取り組んだのです。地図があると分かりやすいのですが、アフリカは植民地化された歴史の影響で互いに結びつきの強い4つから5つの単位地域に分けられます。アフリカ全体はアフリカ連合(AU)を形成しているのですが、それが先程説明したような単位地域にまとまって活動する傾向にあります。その理由として文化的に互いの理解が容易なこと、共通資源の確保が容易なことがあげられます。単位地域は互いに協力関係が容易であり、また必要なのです。以上でアフリカの地雷問題における単位地域の役割の重要性がお分かりになったと思います。アフリカの単位地域についてもう少し詳しく申し上げますと、「サダ」と呼ばれる南部地域、「エコ」と呼ばれる中部地域、西部地域、「グレート・ホーン」と呼ばれる東部地域、サハラ砂漠以北の北部地域に分かれます。北部地域における地雷問題に著しい進展はありません。北部地域はフランス語を用いる国が多く意思疎通に問題があるのが原因です。一方「サダ」では英語が慣用語になっており。ごく一部の人々がポルトガル語を用いているだけでフランス語を使う国はほとんどありませんので、相互理解に苦労はなく共同作業がしやすい環境にあります。アフリカでは言語的共通性が共同作業の重要な要素になっています。そんな訳で単位地域ごとに対人地雷禁止条約に参加したり、地雷を除去したり、地雷の使用の監視活動をしたり、地雷除去後の再建活動をするなど、包括的な地雷廃絶活動を継続して進めていく事は大変なことなのです。
 もう一つの単位地域の共通の課題はあまり世間にあからさまにしたくない過去の紛争が満足のいく形で終結した今、地雷問題が「人の案全の問題」だという従来の見方から、地雷問題は単位地域が共同して取り組む「開発問題」だという見方に変更しようというものです。
 別の一般的課題として、対人地雷全面禁止条約に署名・批准したアフリカの国々は国連や他の国が自国に入り込んで直接地雷除去活動に従事し、一般市民が作業に加わる過程の中で過去の惨い状況が国際社会に明白になる事を望まないのです。アンゴラやモザンビークでは地雷除去作業が急速に進んだのですが、その理由に自国の市民社会が積極的に参加できた事があげられます。軍と市民がそれぞれの役割を適切に分けて地雷除去に参加したのです。
 もう一つの課題は、地雷原の特定が難しいという事です。御承知のようにアフリカの地雷問題は主に政府と反政府勢力との紛争に起因しています。言い換えるなら、過去の植民地宗主国と独立派との戦いだったのですが、この戦いは国対国の戦いとは別物で、戦後平和になった時に地雷原地図を手に入れる事は非常に困難です。なぜなら、ほとんどの場合地雷原地図そのものが紛失しており、地雷を埋めた者も死亡していたり、国外に逃げてしまっていたりするからです。結果として政府側と反政府側の地雷埋設情報が複雑に錯綜し、地雷原の特定は困難なものとなります。これは対人地雷除去にとって大きな問題です。
 別の大きな課題は、地雷が市街戦には使われず郊外地域で多用されたことに起因するものです。こういう地雷の使用で交通が遮断されるため、郊外地域は孤立し地雷犠牲者が多数発生しています。これは深刻な問題です。
 最も深刻な課題の一つが犠牲者支援です。戦争中に犠牲者が出るのは当たり前ですが、対人地雷に関しては戦争が終わった後にも犠牲者が増え続けます。
 しかしながら、アフリカ諸国の復興を阻んでいるものは他にもあります。マラリアやエイズを始めとした数々の疾病です。こうした多くの問題を抱える中では地雷被害者の支援の優先順位はまだまだ高いものではありません。
 さらに課題をあげますと、それは戦争で破壊されたアフリカ諸国への地雷廃絶活動を含む復興資金援助での問題です。アフリカ諸国が対人地雷全面禁止条約に参加して6年が経過しました。この間多くの優先課題について成果が達成されて来たのですが、その水準を支えるべき資金援助は年々減少してきています。資金援助を如何にして維持していくかがアフリカ諸国の大きな課題です。
 最後の課題ですが、それは地雷問題を優先させる事です。地雷の問題を抱えた国では、地雷除去が進まないため立ち入り禁止の施設や遮断された道路があちこちに存在し、国の開発という視点からの食料問題や交通問題に手がつけられない状況なのです。ここ6年ほどの議論の結果なのですが、最近1年で世界銀行の見方が地雷問題は緊急性の高い人道問題だというものから、地雷問題はアフリカの国々の開発問題だという議論に変わって来ています。つまり優先順位が国の再建になっているのです。
 これが結論になるかも知れませんが、今多くの人々からこんな声が出ています。対人地雷禁止条約が成立して6年たち、多くの国が条約に参加しているのになぜまだ地雷問題について話し続けなければならないのか、というものです。当然地雷反対ケニア連合も日本地雷廃絶キャンペーンも地雷廃絶国際キャンペーンの一員として活動しています。日本語の語感は分かりませんが、英語のcampaignというものは永続的なものではなく短期で終了するものなのです。
実は私達は当初2004年の検討会議で地雷廃絶国際キャンペーンを終結する予定でいました。しかしながら、1400名の参加者で開かれたその検討会議で、私達はキャンペーンの終了は時期尚早と悟りました。もし、キャンペーンが終わってしまえば各国政府が安心してしまい地雷廃絶禁止条約の遵守を怠る事になる事が容易に予想されたのです。そこでケニア地雷廃絶キャンペーンや日本地雷廃絶キャンペーンを始め世界中のキャンペーンが地雷廃絶と被災国の再建のために声をあげ、支援を続けることになりました。

 ここで話題をアフリカの一般的な問題に移したいと思います。つまり違法な小型武器の取引です。この問題に関し日本の有力な団体が支援してくれている事は喜ばしい事です。私はこの講演の初めでアフリカの紛争が植民地時代の影響とその後の国内の地域対立によって引き起こされたと説明しました。アフリカの最後の紛争はスーダンで起こりましたが、今年初旬に平和協定が結ばれ終息しました。これは非常に良いニュースであると同時に悪いニュースでもあります。アフリカのどこで起こる紛争でも大量の小型武器、つまり、ピストル、AK47ライフル、携帯型ミサイルが使われます。政府側は合法に、非政府側は非合法に使用するのです。ある国で戦争が終わりますと、こうした小型武器は無用のものとなります。そうなると今度はこれらを利用して金儲けをしようとするのです。結局これらの小型武器は最終的に比較的平安な隣国に国境を越えて入り、無法者の手に渡り、追い剥ぎや家畜泥棒に使われ新たな問題になるのです。こういう小型武器の動きに対抗しようとする組織の連合体は政府に働きかけて小型武器が離散しないように一ケ所に集めようとしています。私の単位地域の最大の小型武器問題はソマリア、エチオピア、ウガンダ、スーダンから流入してくるものです。こういうニュースは日本でも知られていると思います。というのも今日私はエキスポ会場に行くために名古屋駅に来たのですが、そこで一人の日本人女性に会いました。彼女はかつてナイロビにいた事があり、アフリカのTシャツを着ていたのですが、私に向かってこう言いました。「ナイロビでお会いした事を覚えていらっしゃいますか。私は覚えていますよ。今ナイロビはとても危険な都市になっています。あなたがナイロビに帰るのは危険じゃないですか。町では車強盗が横行していますよ。」地雷問題解決の進展に比べると小型武器問題はまだまだ一定の成果も上げられず、今後も継続して精力的に取り組んでいく必要があります。

 ここで私の活動のもう一つに話題を変えます。つまりケニア最大、300万人から500万人(年代で会員数は大きく変化します)の会員を擁する女性団体の活動です。他の開発途上国同様ケニアの女性は家庭で大きな役割を担っています。私の属する団体は1952年に設立されました。約50年の歴史がある訳です。私達の団体は草の根の女性団体です。私達は草の根レベルから国の政策レベルまで幅広く活動しています。
 50年の団体活動の中で特に焦点を絞って来たことは、ケニアの女性の権利と家族の生活の向上です。一例をあげますとケニアのマウマウ独立戦争の時、多くの国民が栄養失調に苦しみ、多数の孤児が発生しましたので、私の団体は彼等への食料支援や精神ケアを行いました。1970年代には女性が家庭生活の質の向上や水の確保の問題に貢献しました。1980年代の深刻な問題は人口の爆発的な増大でした。ケニアの人口は日本と比べれば少ない3000万人ですが、当時の人口増加は度を過ぎていました。女性団体は栄養問題と出産問題に関わり、計画出産の運動を進めました。当時ケニアの一家族の平均子供数は10人でしたが、運動の結果今では平均約4人に減っています。1980年代は女性が他の運動にも積極的に参加した時代でした。人口の増加にともない土地が不足しだしましたし、ケニアでは森林資源が煮炊きなどの燃料に大量に使われ、急速に失われていました。女性達は森林資源の調査団体の活動に加わり、一方料理に使う薪や燃料使用の抑制と大規模な植林に取り組み(マータイさんの植林運動もその一貫でしたが)、多くの女性を巻き込んだその運動はケニアの森林再生に成功をおさめました。1980年代後半から1990年代初めにかけて、また今日まで多くのアフリカ諸国にとって最大の課題はエイズとそれにまつわる種々の疾病の問題です。私の属する団体はこの問題について政府に初めて取り組みを訴えた団体です。当時だれもエイズについてどう取り組み、抑止したら良いかを発言しなかったのですが、私の団体は政府と協力して積極的にその問題に取り組んで来ました。今この場にいる何人の方が知っているか知りませんが、私の団体は1985年頃「女性の10年」の運動に中心的役割を果たしていました。その結果アフリカにおいては、私達女性がなすべき事をなせば、男性中心社会から女性も進出できる社会に変革を起こせるのだという確信を持てました。また、各種の運動の中で(食料支援、エイズ支援活動、植林運動)国の政治的意思決定にまで私達が影響を行使する事が必要なのだと知りました。1992年から今日まで私達は懸命に活動を続けて来ました。いろいろな政治団体に対し、女性の参政権や政治団体内の男女平等参画や憲法の男女同権規定などについて考慮するよう働きかけをして来たのです。

 最後に皆さんにお話したいのは、ケニアに隣接する国の問題です。私は所属する団体の活動を通じて、北部中央政府と南部反政府勢力に分離して紛争状態のスーダンで地雷禁止の運動を推進して来ました。その過程で私達が連係して運動を進めて来た「ジュネーブ・コール」というスイスの団体が作成した「対人地雷の全面禁止及び地雷除去、地雷回避教育等に関する合意文書」に南部の反政府勢力(スーダン人民解放運動、SPLM)が2001年10月4日に署名し、ジュネーブ州政政府に寄託をしました。これは特筆すべき事柄です。実は私は日本に来る直前まで南スーダンで活動していました。スーダンではジョン・ギャラン副大統領(南部政府大統領兼統一暫定政府第一副大統領)がヘリコプター事故で死亡して大変な問題になっていました。私は万博終了後にはただちにスーダンにもどり、反政府軍が約束どおり地雷を使用しないかどうか監視する予定です。スーダンはEUの半分くらいの面積を持つ非常に大きな国です。国土は美しく、原油、各種金属類も豊富です。しかしながら、スーダンはまた、内戦によって国土をずたずたに分断された国でもあります。

 ここで「市民社会の役割」について少しお話します。ここにおいでの皆さんは、日本国内はもちろん、アジア、例えばインドネシアなどで簡単に支援活動の場を求める事が出来ますが、もし機会があればアフリカで援助活動をしていただきたいと思います。例えばスーダンでは今はまだ国レベルの支援活動が手付かずです。復興活動は始まったばかりでNGOができる事がたくさんあります。私自身もスーダンでやるべき多くの課題をかかえています。スーダンでは南部でも北部でもいろいろな貢献の出来る機会がたくさんあります。例えば、こどもの教育、犠牲者支援などで課題はいくらでもあります。後程DVDで支援の一例をお目にかけます。

 皆さんは今、アフリカの抱える問題にどう関わって行けば良いのかと疑問に思われているかも知れません。皆さんの中には小さな市民団体の代表者もいらっしゃいます。また、ある方は個人の資格でこの会に参加されています。いずれにしても皆さんの国、日本は大変裕福な国で世界の政治のリーダーです。先日読んだ資料には日本が国連の安全問題について非常に大きな金銭的貢献をしているとありました。もちろん、そのお金は皆さんが税として払ったものから出ているのです。その点から言えば、皆さんは日本政府のお金の使い方について大きな発言権があると思います。それでも皆さんは国政レベルにどうやって影響力を行使したら良いのか戸惑うかも知れませんが、皆さんは市町村に住んでいますから、まず身近なところから始めてみたら良いと思います。日本でこういう事が良く言われているかどうか知りませんが、「私の存在はあまりに小さく、地位も無く社会的に貢献出来ることなど何も無い。」という様に考えておいでになる方もいらっしゃるかも知れません。でもあえて私は「あなた方にも出来る事は必ずあり、是非それをやっていただきたい。」と申し上げたいし、皆さんに私の挑戦に応じてもらいたいと思います。日本は技術的に世界でも非常に高度に発達した国です。万博で見られる数多く日本の建築物を見ても日本の技術が世界の最先端を行っている事が分かります。皆さん一人一人が関心のある国を選ばれてその国について社会状況や政治状況などの見識を深めて、他の人々(例えば子供達)とその知識を分け合う事はとても有意義な事です。子供達は明日を担う人材です。子供達に他の国の状況を早くから知っておいてもらう事は皆さんも望むところと思います。

 ここで私がどんなふうに活動してきたかを実例で紹介したいと思います。私は裕福ではありませんし、私の所属する団体も資金がありません。そこで私はアフリカの一定地域における地雷や小型武器の問題に関わる中で、寄付をしてもらえそうな団体や個人を見つけると、出かけていってアフリカの状況や、解決すべき問題の優先順位について熱っぽく語って来ました。そしてそれが成果を上げ、例えばスーダンの反政府勢力と政府軍の間で対話を成立させる事に成功しました。このように私は国際的な社会で関係者を説き伏せて行動を起こさせると言う事をいつもして来ました。皆さんも自分の口と頭を使って、熱意を持って相手に語りかけていただければ成果が見込めると思います。
最近知った事なのですが、日本政府は多くの留学生をアフリカから受け入れている様です。そこで、これとは逆に日本の若いボランティアを諸外国に送って、そこで様々な問題を学んでもらって日本に戻ってから、その得た知識を日本の人々と共有する事も可能だと思います。

 随分私のお話が長くなってしまいました。ここにおいでの皆さんの御意見も伺いたいので、そろそろ結論に持っていきたいと思います。ここ日本ではアフリカのニュースと言いますと悪いニュースが多いようです。しかしながら、アフリカの状況は「息も絶え絶えの最悪のもの」という訳では決してありません。しかしながら、日本で報道されるアフリカのニュースの内容を見て見ますと、洪水、エイズで死亡者が大量に出ているとか、内戦が深刻だと言うような否定的なニュースが多いのです。日本の人口は約1億2千万人で、皆さんが忙しく生活しています。自分の生活の事で精一杯という人もいると思います。そういう状況の中でいつもアフリカの悪いニュースばかり目にしていますと、悪い印象だけが残ってしまうかも知れません。しかしながら、実際にはアフリカでは再建に向けての良い動きもあります。今度アフリカのニュースを皆さんが目にする時には表面的なものに留まらず、どうしてそういう(悪い)事が起こるのかとか、アフリカの全体像を考えてみるとかして下さい。また、アフリカには非常に多くの国々があり、日本に比べればまだまだいろいろな面で遅れていますので、アフリカのニュースを見る時には今後どうしたら日本のように発達できるかという視点で見て下さい。アフリカには様々な良い面も悪い面も多くの現実があります。御静聴ありがとうございました。
(この後休憩を挟み。メレソがスーダンの地雷問題解決に向けての取り組みを短いDVD の映像で紹介、解説した。)


(質疑)

Q ダイアナ妃が地雷問題に大きな貢献をして、オタワ条約成立に寄与した事は有名ですが、地雷問題があと何年したら解決するというような確実な見通しはあるのでしょうか。
A ダイアナ妃が地雷問題で登場したころは、地雷問題は政治的に非常に微妙な問題でした。そのため彼女は政治的な発言はしませんでした。大変有名だった彼女がした事は、世界中のメディアを地雷被害者のいる病院や地雷原に連れて行った事です。彼女は自分の言葉で訴えた訳ではありませんが、数十人のメディア関係者がそこから世界中に地雷問題を発信し、世間の関心を集めました。この点で彼女の果たした役割はとても大きかったのです。そもそも地雷問題解決のアプローチにメディアの力を利用する事は欠かせません。小さな講演会を開催する時にもメディアの注目を集めるようにする必要があります。さて、地雷問題の先行きについてですが、先程まで私がお話ししていた内容が地雷問題の解決への進歩を説明したものなのですが、その完全な解決までにはまだまだ乗り越えなければ多くのハードルがあります。道のりは長く容易に見通しは立たないというのが答えです。

Q 日本ではマスコミの一過性が顕著で、話題があっと言う間に忘れ去られてしまう傾向が見られます。地雷の問題も例外ではありません。この点はアフリカ諸国でもいっしょでしょうか。また、マスコミの関心を継続的に一つの問題(地雷問題)に向けさせる方策があるのでしょうか。
A まず、私の経験からお話します。ご承知のように私の国、ケニアには地雷が埋まっていません。それで1995年から1996年にかけて私が地雷問題を語りはじめた頃にはよく「貴方は何を言っているのですか?地雷問題なんてこの国には関係無いでしょう。」と言われたものです。そこで、どんな問題を取り上げるにせよ、地雷でも、小型武器でもまず自国の状況をよく知った上で始めなければならないと思います。私達が取った手法はまず、この地雷問題に関心を持つようなジャーナリストを育てたことです。当時の状況は、地雷問題を紹介するビデオが1本しか無かったのです。現在のようにたくさんのビデオが出回っている状況とは雲泥の差がありました。地雷問題を一から教え、地雷問題に強い若いジャーナリストを作らざるを得なかったのです。一旦彼等が知識を得れば彼等自身が地雷の事を記事にして広めてくれました。さて、どこの国のマスコミも忙しく、話題を次から次に追い求めます。気紛れなマスコミの傾向はどこもいっしょです。地雷の問題にマスコミの目を向けさせたいなら、彼等が報道したくなるような「話題性のあるニュース」を提供し続けるしかありません。それがまさにあなた方、JCBLメンバーの仕事なのです。

Q メレソさん、本日はとても良いお話を伺いました。友人達にケニアと貴方についてについて伝えたいと思います。ところで、会員数300万人を誇るケニア最大の女性団体についてですが、会員の職業はどういうものが多いのですか。それと、ケニアの国会議員の中にどれくらいの女性議員がいるのでしょうか。
A 会員の大多数は普通の主婦で商店経営者、先生、秘書などである場合もあります。それ程豊かな市民層ではありません。また都市部の市民というより、農村部の人たちで、地元で変革を起こそうと運動しています。
さて、女性議員の事ですが、直近の国政選挙では比較的多くの女性議員が選出されました。とは言うものの絶対数は小さなものです。ケニアの国会には220名の国会議員がいますが、女性議員はそのうちのたった17名です。8名は選挙で選ばれ、9名は政党から選出されました。こういう状況はケニアが男性中心社会であることから引き起こされるものです。政府は女性の比率を高めようとして、12名の政党指名の議員のうち9名を女性にしたという経緯があります。

Q 以前TV番組でモザンビーク政府が内戦終了後に市民から小型武器を回収して、記念のモニュメントを作ったという事を放映していましたが、メレソさん達の小型武器回収活動でも、回収後何かに利用するとか、モニュメントを作るなどをしていますか。
A モザンビーク政府の内戦終結記念のモニュメントは良く知られていますが、実際のところは回収された小型武器はほとんど全て解体され、木部は燃やされ、金属部分は溶解処分されています。

Q 回収された小型武器類の再利用をして団体の資金にする道は無いのですか。
A まず、原則として地雷や小型武器を回収するのは市民ではなく政府です。しかしながら今ではその一部について市民団体が協力しています。以前は政府が市民団体を警戒して距離をおいていましたので地雷や小型武器の回収には近付けないようにしていました。しかし現在では市民団体の活動の優秀さを認め、逆に協力を求めて来ています。かつて政府は小型武器などの買い取り回収のデモンストレーションを実施しました。その過程では集められた兵器類は全て破壊され、金属部分と木製部分に分解され、業者に売り払われました。しかしながら、アフリカ諸国で本当に求められているのは、回収作業で集められた兵器類が二度と兵器として使われない事を確認する事なのです。

Q (会場でメレサが配付した東アフリカ地雷廃絶ネットワークのパンフを見て)パンフに3人の子供が手をつないだ絵が描かれていますが、左端の子供の左手足が地雷で吹き飛ばされています。私はこの子をまん中に入れてあげて両端の子が支えてあげるようにしたら良いと思うのですが。
A  このマークは1997年のオタワ条約成立の時に多くの地雷関連団体がオタワに集まり、アーティストに呼び掛け地雷廃絶の適当なデザインを公募した時に採用されたものです。この19歳のアーティストは自身が熱心な地雷廃絶運動家だったのですが、彼のデザインのメッセージは、もし手足の無い人がいたら人と人の手を繋ぐ輪が長く伸びないと言う事で、地雷の被害者がなくなってほしいと言う願いを込めたものです。

Q 先程紛争終結後の小型武器の問題が出ましたが、政府側も反政府側も使用した小型武器を反政府側が売り払ってお金に変えると言うのは理解できます。それでは政府側も売り払ってお金にしているのでしょうか。
A これはとても複雑な問題です。スーダンの小型武器の状況を文書でお読みになるとソマリアやスーダンのような特定の紛争国にどうして大量の武器が集まってしまうか、また紛争終了後に余剰武器がどのようにどこの国に流出するかが理解できると思います。
平和が訪れると政府側は小型武器の所持登録をします。そうすると、政府側の小型武器は合法化しますが、登録されない反政府側の小型武器は非合法になります。和平条約に署名すると反政府側の小型武器は使用が出来なくなります。かつての反政府勢力側の司令官も一般市民になるのです。しかし仕事がすぐ見つかる訳ではありませんので収入も無いのです。もちろんお金を持っているはずも無く、持っているのは小型武器だけという事で紛争終了後にこれらの武器を売り払うと言う事がしばしば起こるのです。例えばケニアの例を申し上げますと、ケニア北部にはウガンダの小型武器がしばしば入って来ました。というのもケニアではAK47ライフルが牛一頭と交換できたからです。それでどうなるかと言うと、AK47ライフルを買った人はそれを使って牛泥棒を働く訳です。この一例を見ても紛争後の小型武器が問題である事がお分かりかと思います。それらの武器がナイロビまで流れて来て強盗や自動車強盗に使われ、さらにコンゴにまで流れていくと言う事になります。このように一旦流出した小型武器を回収する事は極めて困難になるので、国内で紛争終了後にすみやかに回収し、破壊する事が大切なのです。さて、政府側が小型武器を非合法に売ってお金に変えているのではないかというご質問ですが、私はそのような報告を聞いた事も見た事もありません。一旦登録された小型武器は簡単に持ち出す事は出来ないと思います。従って、政府側による小型武器の違法売却は無いというのがお答えです。
(この後にも2~3質問があったが録音テープ切れとなった。終了時間は午後9時を過ぎていた。メレソを東浦町の宿舎に車で送っていった。車の中でプライベートな事からシェング(英語とスワヒリ語の混成語)問題、教育問題、憲法9条問題まで幅広く話す事ができた。)

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